『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・J・A・レーリンク A・カッセーゼ 小菅信子訳
レーリンクは、東京裁判の判事で広田弘毅、木戸幸一、重光葵、東郷茂徳、畑俊六に無罪判決を出した人
外国人同士の対談集であり、日本人的な”忖度”がないため、素の東京裁判の評価が期待できる。
一方、歴史解釈がどうかという部分もあったりもするので、全肯定というわけにもいかない。
いろいろな東京裁判関連の本をよむと、裁判長のウェッブが傲慢的で独善的だとか、イギリス判事による多数派工作があったとか、そういう裏話の元がレーリンクのこの本ではないか
事後法や勝者の裁きという批判も、裁判中からあった話でレーリンク自身の見解もある。それを無視して東京裁判論議など成り立たないと思う。
事後法についてはwikiでは、『事後法で罪を裁く事は出来ない』と書いてあるが、レーリンクの主張とは違う。
引用すると
『<事後>法の問題の重要な側面はその政治的性質です。略 私の見解では、それを避ける唯一の道は、憲章が既存の国際法と合致する限りにおいて有効であったと考えることでした。
後になって、人権の発展は遡及法の禁止を国際法に導入しました。しかし、1966年の国際人権規約でさえ、そして1950年の欧州人権条約も、その行為が「諸国家の共同体によって承認された法の一般原則」にしたがって犯罪と認められるケースには特別な例外を設けています』
不作為の刑事責任について、引用すると
『さて、たとえ不作為の責任が限られた範囲でのみ承認されるとしても、ジョンソン大統領やニクソン大統領はベトナム戦争に関して有罪でした。』(レーリンクは限られた範囲で承認の立場、脱線するがBC戦犯で死刑になった山下奉文を擁護している)
東京裁判には、灰色の部分があり両論ある。片方の欠陥だけを付き、自説の欠点を無視すればどのようも結論を持っていけるが、正しいかはともかく十分とは言えないのでないか?
余談だが、いろいろな本で、パール無罪論は内容が難解と言われている。パール自身、当時ガンジー主義者でないにもかかわらず、後年の日本の公演ではガンジー主義のように語ったという。それは、パール自身が無罪論を説明できないからではないかと思う