日本の言葉に一期一会という言葉があります。


簡単に言えば一生の間で、

一度出会った人をもう二度と会えない人と思い、

一度の出会いを大切にしなさい、ということです。


もともとは茶の湯からはじまった言葉だそうですが、

実にいい言葉ですね。


私たちは文先生ご夫妻の弟子であり、

神様の子供です。

ですからみんな兄弟姉妹です。


私たちは毎日外に出る限り、いろいろな人と出会います。


おじいさんやおばあさん、赤ちゃんまで、

いろいろな生活をしている人がいます。


私たちは神様の子供たちだといいましたが、

もし、神様が自分の子供に出会ったら、

どのように大切に愛してくださるでしょうか?


それももう2度と会えない人であるならば、

どんなに大切にするでしょうか?


すべての人に同じように接することが一番大切ですが、

私たちは学校や会社に行くなど、

目的を持っていますので、

時間を割くことは出来ないこともあります。


でも、せめて「おはよう」と、挨拶をしたり、

会釈することは、とても大切なことだと思います。


その上で、見た感じで、出会う人を「変な人だな?」と、

思ったり、自分より見下げて考えたりしたことはありませんか?


たしかに変わった人も多くいますが、

私たちは神様の子供として、

神様のように、見なければならないのです。


神様の目で、物や人を見るのです。


神様は、親であり、すべてを投入して、愛される方ですよね?


ですから、私たちも、出会う人に対し、

損得勘定で物事を見たり、裁いたりしてはいけません。


この人は自分にとって、特になる人か、損になる人か、

そのように考えてはいけないのです。


親はどんな子供も大切にするでしょう?

立派な子供も、出来損ないのような子供も、

みんな自分の大切な子供なのです。


文先生は、何か小さなことでも、

自分によくしてくれたことは、絶対に忘れないそうです。


反対に、何かしたことは、全部忘れてしまう方ですよね。


私たちも、相手から、何かよくしてもらったならば、

それがたとえどんなに小さなことであっても、

それを記憶し、天につないであげる意識が必要なのです。


この聖句には、いっぱいの水であろうと、

私の弟子に与えるものは、救いからもれることはないであろう。

と、書いてあります。


また、水を与えてもらった弟子は、ただ「この水は上手い」と、

いって、飲んだだけだったでしょうか?

違いますよね。


「この水を与えてくださった方が、神様により愛され、

福を受け、大切にされ、幸せになり、天国に行くことが出来るように・・」

と、

心の中でお祈りされながら飲んだに違いありません。


私たちも、良いことをされたならば、決して忘れずに、

また、その人を神様につないであげる意識でお祈りしてあげなければなりません。


人間は、万物も含め、愛が伝わるのです。

愛がわかるのです。

相手がどんな心で接しているのか、心でわかるのです。


ですから、私たちが真の愛の心で接するならば、

相手も私たちに何かを感じ取るのです。

それが神様とわかるかどうかはわかりませんが、

無限の愛を感じるのです。


万が一、一度であった人が、長い年月を通じて、

また出会うことがあったとき、その愛された記憶がよみがえるとき、

私にきっとまた、よくしてくれることでしょう?


反対に、悪い思い出が残っていたならば、

出会うときには、より悪くなるかもしれません。


悪い思い出を作ってしまったときは、

良くお祈りをして、自分が反省し、

その人が恵を受けるように、お祈りしてください。


私たちも、よくしてもらった事は忘れずに、

また出会うことがあるならば、その人を大切にしてあげなければなりません。


霊界に行くならば、良いことをしてあげた人も、

傷つけたひとも、みんなと出会うことになるのです。


そのことを思ったら、相手に悪いことは出来ませんよね。


あの世に行ったとき、反対にやられてしまうのです。


霊界があるということは、実に平等に出来ているのですね。


良いですか?出会う人を神様のように大切にするのですよ。


そうすれば、皆さんも神様から愛され、大切にされるのです。


そのように生きることを誓いましょう!



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