イエス様は
十字架の道を避けて、
逃げることももちろんできたはずです。
しかし
自らができる最大限の
責任を果たす為の方策を
考えたとき、
この道しかないと
考えたに相違ありません。
神様も干渉できない
人間の責任分担。
行けとも、行くなともいえない立場。
イエス様自身の出した答えが
「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、
どうか、みこころが行われますように」
ゲッセマネの祈りは
心が引き裂かれるような思いの中で
つむぎだされた祈り。
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イエス様がお金持ちの青年に、
「すべてをささげて私に従いなさい」と
お話されました。
地位、名誉、財産・・・
しがらみがあればあるほど、
この道は行くことが難しい。
すべてを捨て去ってこそ、
自分が生かされていることに気づくことができる。
謙虚に生きることができる。
そうしてこそ、
イエス様の価値、
メシアの価値がわかるようになっている。
文先生に反対するものは
位置を持っている人が多い。
高い頂から一度飛び降りて、
一番低い位置から
物事を見るとき、
本当の真実が見えてくるのではないでしょうか?