子供から

「光は気体なのか、液体なのか、いわゆる物質なのか?」

と、いう質問をされて答えに窮しました。


光や音などは

いわゆるエネルギーとして

とらえられるはずですが、

突っ込んで質問されると、

いったいどのようなものに分類されるのか、

いつものごとくウィキペディアで調べるしかないか・・・


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89


いわゆる粒子でもあり波でもある光は、

量子と呼ばれているそうですが、

光があってこそ

物の形や存在が目に見えて確認できるわけで、

神様が「光あれ!」と、叫ばれて

すべてが始まったごとく、

光の存在は

絶対不可欠なものですが・・・


しかし、聖書には

「初めに言葉があった」と、書かれているわけでして、

言葉(いわゆる考え、ロゴスというか、要するに

神様の頭の中にある設計図)が初めにあったということで、

すべて計画性があったことになります。


原理には

神様も喜びの対象がほしかったがゆえに

被造世界を創造されたと書かれています。


文先生曰く、

「一番苦しい拷問は一人にされることである」そうです。


人間はまったくの独りぼっちになると、

気が狂ってしまうそうです。


文先生が拷問を受けられ、

背も立たないような小さな独房に入れられたとき、

その環境を乗り越える為に、

自分の口の周りに食べ物を塗っておき、

それに近づいてくるハエの姿を見ながら

その寂しさを紛らわせて越えられたそうです。


やはり何か対象になるものがあってこそ

喜びが生まれるのであり、

発展があります。


神様の神性を持っている私たちは、

やはり創造性を持って

助け合いながら

生きねばならないと思います。


何かを作り出す、生み出す喜びは、

どんな人でもありますよね。


でも、

生み出すのはエネルギーの要ることです。


大変なことです。


だからこそやりがいがあるともいえますが・・・


菅先生。頑張ってほしいです。

日本でも

ものづくりを重要視したところに

補助金を出したりして

発展ある国づくりを目指してほしいです。


話がずれてきましたが、


「光あれ!」の後も

重要だと思うからです。


「うめよふえよ地にみちよ、よろずのものを治めよ。」


前のブログでも書きましたが、


しっかりとした人格を持った人間になること、

いわゆる教育。


そして

正しい結婚観。


その上において

公の心を持って

正しく物を主管し創造性も持って

互いに助け合いながら

発展させてゆく。


統一教会の基本理念ですが、


一般社会でも

同様なことがいえるはずです。


時期政権にも期待しております。



にほんブログ村 政治ブログ 国際政治・安全保障へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ にほんブログ村