人間は肉体がなくなった後、必ず霊界に行きますが、

あなたはどの霊界に行くのか、知りたくはありませんでしょうか?


肉体がなくなった後は、魂だけになってしまうため、

肉体があるときにはある意味この肉体がブレーキになってくれていますので、

行動も制限されますが、

魂だけになった場合、

心の行動がそのまま魂の行動となりますので、

瞬時に行動に移ってしまいます。


おいしいステーキが食べたい!と考えれば、

即座に熱々のステーキが現れるのが霊界です。


なくなったおじいちゃんに会いたい!と思えば、

即座におじいちゃんが現れます。


そんな便利な世界なら、早く行きたいと思うかもしれませんが、

人間は使命がありますので、自分で命を絶ってはいけませんし、

自殺した場合、神様の願いを途中で放棄するのですから、

とんでもないというのです。


もちろん、生まれてきて、早くなくなる方もおりますので、

寿命の長短はそれぞれ意味のあることだと思います。


前にも書きましたが、国家的、世界的な意識を持って

貢献した人は、聖人、義人の霊界に行きますし、

自己中心的に生きれば、そのような場所に

いくようになっています。


自分自身が決めるのです。


そう考えますと、自分の心を客観的に見たときに、

自分が今なくなった場合、どこに行くのかが

推測できます。


肉欲的なものに支配されている人は、

どろどろとした悲惨なところにいきますし、

いつも思いやる心を持って接している人は、

たくさんの友人に囲まれ、幸せなところにいけるかもしれませんし、

奪い合って生きてきた人は、奪い合いながら生きる場所に行くようになっています。


しかもそれが永遠に継続することを思うと

自分の心をより清く、美しく磨いていかなければなりません。


イエス様は共に十字架にかかった右の強盗を

「共に楽園にいくであろう」と話されました。


自分も苦しい死のふちで、自分よりもイエス様の

苦しみを理解しようとした右の強盗は、

どれほどイエス様にとってもうれしかったに

違いありません。


人間は基本的に同じ環境を通過して実感しないと

その人の苦労はわかりません。


ある意味、隠れキリシタンの方たちの気持ちがよくわかります。


迫害されてきた民族の気持ちもわかるようになってきました。


すべての人たちが、すべての民族が、真の愛で共生できる

国際国家の見本となれるよう、

私たちも努力しないといけませんね。