GYAOで外科医「ポンダルヒ」が配信されていますね。今まで1話しか見ていなかったので、楽しみにしています。

さて、2話目の後半で、女性で足が炎症をおこした女性(蜂巣炎と診断)のことで、ダルヒはある疑問を持ちます。
壊死性筋膜炎という病気で、非常に進行性が早く、ほっておくと、足を切るか、死に至るかもしれない病気。

もしそうならば大変になるとライバルの女性外科医チョ・アラに検査をするように話をするが、聞き入れてもらえない。
しかし耳に入ったその話を聞いたアン・ジュングン(ポンダルヒを嫌っている)医師が、病気の女性を再診し、
壊死性筋膜炎であると判断し、チョ・アラとその直接の上司のイ・ゴヌク医師の承諾も得ず、緊急手術に入る
ところで、2話は終わる。

3話目は見たことがまだないのですが、命に対し、責任を持とうとするアン・ジュングン医師の行為に対しては、
賛否両論があるかもしれませんが、大多数の方は賛成するのではないかと思います。

車の免許をとるため、通っていた教習所の教官の質問で、「黄色の斜線(場所によって白も)があるところは、本来車が進入しては
いけない部分だが、緊急時はいいのでしょうか?良い悪いといろいろな意見。
教官は、法律的に絶対いけないという。でも、命にかかわる事故を回避する場合は自己判断に任せるが、
それでもやはり法律的にはいけない。と話された。

はるか昔の話だが、
自分が仕事に向かうため道路を走っていたとき、一番左車線を走っていた車が2台あり、その隣の右車線を自分は走っていた。
そのとき2台前の車が、ハザードを出しとまったため、急にその後ろの車が私の走る右車線にウインカーも出さず、急に飛び出てきた。

自分は危険を回避するため、仕方なく、反対車線のそれこそ斜線の中にハンドルを右に切ってとまった。
中央分離帯が、広いため可能だったことだが、あわてた前のドライバーが車を止めて出てきた。
自分に対し謝ろうと思ったのでしょう。

でも、自分は仕事に向かうところですので、かまわず走り去りました。
本来ならばとまって相手の話を聞くべきでしょうが、自分は車を運転する限り、絶対事故を起こさないことが
よい運転だと思いますので、もらい事故の場合を含め、そういう意味での最大限の安全走行を心がけている。

ある意味サーキットレースをしている車の感覚である。

スピードを出すということではない。

前を走る車が、たとえひっくり返っても、どのような状況でも回避し、ゴールすることを一番に考え、走ること。

ゴールしなければ、お金にならない。栄光も手に入らない。

つまり何を言いたいかというと、どのような状況下でも、命を第一に考えて行動したいと思っているからである。

法律はもちろん守らなければならないが、人の命がかかっているとき、最終的にはそれぞれの人間の判断に
任せられる。

日本と当時の軍事政権下では国に反対するもの、国の作った当時の法律に反するものは
処罰していいことになってるのは言うまでもない。

それによって当時の反政府主義者や、朝鮮の方々始め、諸外国の方たちは極端な差別を受けた。

間違った人もいたかもしれないが、きちんとした平等な法律で裁かれるべきものであり、そのように考えると
間違っていたといわざるを得ない。

でも、当時の法律は間違っていないので、各国民も国に雷同し、民間レベルでも差別してしまう。

その昔、関東大震災のとき、うわさだけで韓国人や中国人、はたまた日本人まで
警察や軍隊が背後にあることをいいことに、民間のレベルでも虐殺が起きた。

裁判では証拠がないので、無罪になったり、恩赦になったりしたが、残念ながら、多くの恨みを持った
霊たちは法律では許されても、許してはくれない。

子孫代々に至るまで、取り付いて、命を奪おうとする。
自分の立場ならやはりそうだろう。許すことはできない。

震災に限らず、過去をさかのぼって個人の犯した犯罪から国家的犯罪に至るまで、
それを行った個人を恨霊となった霊人たちは許そうとはしない。

もちろん正しい日本人もいたわけだが、言い訳はできない。

誰かがこの深い恨みの心を持った霊たちを救うものがいなければ、国は人で構成されているわけなので、
国自体にも影響が出てくる。

この恨み解きをしているのが統一教会や、名もない小さな団体の方たちや個人である。
個人で震災での虐殺のもっともひどかった荒川に入り、恨みときをしている住職の方もおられるが、
もちろんとってもすばらしい行為だが、個人で負うのはあまりにも大変である。

では、どのようにして教会は恨みときをしているのでしょうか?

これは清平へと話がつながっていく。

今日はここまで。