この国を最初に建国した人たちは本当に大変だったと思うのです。

大陸、半島にとどまることができず、当時の船といっても決して立派なものではなかったでしょう。
この島国に来るために、どれだけ多くの命が日本海に沈んでいったのでしょうか?

イスラエルの失われた10部族だったという説もありますが、確かに遠い昔の日本民族は
創造神を信じていたようです。

各所の高台に祈りを込めて神社をつくり、そこを基点として当時の人たちはどれだけ
神様を大切にしていたでしょうか?
時代が流れるにつれ、八百万の神といったすべてのものに神が宿るような考えに行っては
しまいましたが、(もちろん、ある意味間違いではないと思いますが、宿っているのが
善霊でない場合もあるので、ちょっと複雑ですね。)

神事を大切にしながら多くの民族をまとめていくのは大変だったと思います。
建国の時代から今に至るまでどれだけ多くの人が犠牲になり、
なきたい心をじっと耐えて、多くの兵士の死を垣間見ながら、それでも理想を
追い求めて国づくりのために戦ってきた多くの愛国の英霊たち。

軍国主義の時代にあって「戦争は間違いである」と、訴えながら、投獄され、信念を貫いた
社会主義者たち。多くの人はいやであっても言うことができなかった時代、とても立派だったと
思うのです。

それぞれの時代にたてられた宗教にも使命があり、
歴史的にも多くの犠牲を伴ったのは言うまでもありません。

目の前の命を救わなければならない宗教の使命もあり、
長いスパンで見ながら、未来のために今は理解されなくても、犠牲を払いながら
ひとつずつ進んでいく使命の宗教もあるでしょう。

統一教会はどちらかというと後者に属すると思うのです。
ですから、とても見えにくいのです。

すべての歴史的な内容すべてを蕩減(簡単に言えば罪をあがない、穴埋めすること)するため、
民族的、国家的な内容を蕩減するため、見えない活動をしてきたのです。

特に韓国(朝鮮半島)との間には近くて遠い国という言葉もあるように、とても複雑な関係になってしまいましたが、
多くの日本の教会の女性たちが、韓国の男性と結婚し、一生懸命尽くす中で、
「日本の女性はすばらしい」「結婚するならば、日本人がいい」という韓国の人たちもたくさん
増えるようになってきました。

冷戦時代においても、聖書の1ページを隠し持って、命がけで共産国家の中で伝道し、実際に命を失った
教会員も多くいましたが、それでもいまや共産国家の中にも、中東にも、全世界のどこにでも
教会員が活動しています。

自由の国アメリカにおいても、見えない差別と戦いながら基盤をつくってきました。

教会のためではありません。

昔の愛国者で「日本は西欧のまねをするのではなく、教育された人材を世界に輩出していくことが
大切だ」と、説かれた方もおられましたが、自分も同感であり、
国会議員の先生方が諸外国に行ったとき、
「本当にすばらしい日本人がきてくれた」「日本人は本当にすばらしい」と、
言う声が少なからずあると聞いています。
もちろんわれわれだけでなく、心ある多くの日本人がそれぞれの国のために
一生懸命がんばっている結果だと思います。

もし、万が一、日本が沈んだとき、義理ではなく、「日本人であれば、喜んで受け入れます」
というようなふうになれば、どれだけすばらしいことでしょうか?

テレビでも世界で活躍する日本人をテーマにしている番組がありますが、
涙が出るほどうれしいのです。

どれだけ多くの愛国者がこの国を愛し、犠牲になってきたことでしょうか?
でも、それゆえにこの国を愛し、決して見捨てることができないのです。

同時に日本が犯してきた罪に対しても責任を持たなくてはなりません。
その使命を担った統一教会や、良心に基づき国の代わりに活動する団体の方々。
それは簡単なことではありません。

その話はまた次回に。

おやすみなさい。