「親をブロックしました。」
そう話すと、驚かれることがあります。
実際、私も「ひどい娘だな」と思っています。
でも、あの頃の私は、それしかできませんでした。
私は壱岐島へ移住するとき、父と母のLINEも電話も全部ブロックしました。
前の結婚ではたくさん心配をかけ、実家にも住ませてもらっていました。
だから両親が私に言いたいことがあるのも分かっていました。
私が未熟だったことも分かっています。
それでも、自分の人生が見えず、毎日必死にもがいていた私には、
「大丈夫なの?」
「心配だよ。」
「頑張りなさい。」
そんな言葉さえ苦しくなっていました。
移住を決めた時も、反対はされなかったけれど、喜ばれることもありませんでした。
やっとたどり着いた壱岐島
心も体も限界の中で連絡をした時、「態度が悪い」と言われた一言で、私の糸は切れてしまいました。
私は親との連絡を断ちました。
今思えば、私は壱岐島まで行かなければ実家を出られなかったんだと思います。
もし埼玉県内だったら、
「実家でいいか。」
そうなっていたでしょう。
そして、親から物理的にも心理的にも離れたことで、初めて気づいたことがありました。
私はずっと、自分で作った「親の呪縛」の中で生きていたんだ、と。
親に認められたい。
安心させたい。
心配をかけちゃいけない。
良い娘でいなきゃいけない。
その全部を、自分で背負っていました。
一年が経ちました。
離婚の報告もしなくてはいけない。
もう落ち着いて話せるかもしれない。
そう思って連絡をすると、私のことはSNSでずっと見ていてくれていました。
新しい彼のことも知っていて、静かに喜んでくれていたそうです。
その時はまだ、すぐに会う勇気はありませんでした。
一年もブロックしていた親と会うなんて、本当に怖かったから。
でも彼が一緒に来てくれたことで、その高いハードルを越えることができました。
両親は彼にたくさん質問をして、安心したように笑っていました。
私も少しずつ、普通に話せるようになっていました。
そしてある日
母から一本の連絡が来ました。
「壱岐島に一人で遊びに行こうと思う。」
私は驚きました。
母は私から見ると、とても慎重で、一人ではなかなか動けない人でした。
だからこそ、自分から行きたいと言ってくれたことが、本当に嬉しかったんです。
私はずっと、
「自分で自分の人生を動かすこと。」
それが人生を変えることだと思って生きてきました。
だから母が自分で動き始めたことが、とても嬉しかった。
世界が変わり始めたような気がしました。
数週間後。
母は本当に壱岐島へ来てくれました。
福岡空港まで迎えに行き、
明太子ラーメンを食べて、
お土産屋さんを歩いて、
しまむらで洋服をたくさん買ってもらって。
気づけば私は子どもの頃のように甘えていました。
本当は私がもてなそうと思っていたのに、途中から「もういいか。」と思えたんです。
ずっと私は、
もらったら倍返ししなくちゃ。
甘えたら期待に応えなくちゃ。
受け取ったら言うことを聞かなきゃ。
そんなふうに思っていました。
でも、それは母が作ったルールではありません。
私が勝手に作っていたルールでした。
壱岐島では4日間、一緒にたくさんの神社を巡り、海を見て、温泉に入りました。
天気予報は雨だったのに、移動するたびに晴れてくれて。
大好きな壱岐島を、一緒に楽しめたことが何より嬉しかった。
帰りのフェリーでは、「見送りはいらないよ。」と言われたのに、私はこっそり港に残りました。
結局見つかって笑われたけれど。
船が見えなくなるまで、ずっと手を振っていました。
今回、私が受け取ったのは、お土産でも洋服でもありません。
母の愛情でした。
母は昔から、きっと変わっていません。
愛情深い人でした。
変わったのは、私です。
受け取れなかった私が、受け取れるようになった。
それだけで、こんなにも世界は優しく見えるんですね。
親子だからこそ近すぎて、苦しくなることもあります。
離れる時間が必要なこともあります。
でも、その時間は決して無駄ではありませんでした。
あの一年があったから、私はもう一度、母の娘になれた気がしています。