科学コミュニケーションの文脈で時々聞く単語なのだが、科学リテラシーとはなんぞ?と。
科学の知識があれば、科学的なものについて怪しいかどうかを見極めて詐欺等から身を守れるのか?
私の立場はノーである。理由はいくつかあるが、たとえば最先端理論などというのは非常に怪しいものであること、次にそうしたものがどのような性質のものかを理解するだけでもものすごい時間を要することだろうか。
言いたいのは「にわか知識は余計に誤った結論を誘導する原因たりうる」ことだ。
オームの法則とワットの法則と降圧装置を使った節電器詐欺なる事案があった。中学理科でわかる知識で、その装置が「うまく機能する」として、宣伝の道具にされてきた例だ。
あるいは、そもそも、日常的な場面で求められるのは真に科学的なものを選別するというのではなくて、害のある偽物を出来るだけ確実に排除することだろう。
害のある偽物を排除するのは科学的ではあまりないように思う。
例えばEM菌という、度々疑似科学扱いされている菌について、推進者は「効果が出るまで撒き続けることが大事」と訴えている。
これを科学的に正しいか見るには、無限に長い時間を最後まで見ないことには結論を得ない。そのような意味で、検証の困難さがある。
このような類の事案に対して福島県の研究機関は原液を河川に直接投下することの有害性を示した事案があるのだが、科学的に排除すべきと示すことができる範囲などはこの程度である。
EM菌が科学的に効果があるとかどうかは私の判断できる範疇にはないし、その推進者の説明に納得していないことと、度々疑似科学扱いをされていることの2つくらいしか私には言えることはない。
我々個々人の判断はそのような科学的営みではない。あくまでも既存知識との整合性や主張の自己整合性といったことくらいしか見ることはできない。
科学リテラシーとは現実的にはそのような形式的な操作をする能力のことなのだろう。
となると、それを身につけるというのはかなり悲観的にならざるを得ない。万人が共通の理科的な学習をするのは中学までだが、中学理科にはそんな高等な、知識の整合性を見る訓練など入ってはいない。
というか、正しい科学とされている話を見るのだから、「不整合」という事例に出会わない。
どの段階で我々は知識の整合性を身につけることができるのか?
いや、そもそも一生身につけられない人の方が多数なのではないか。
そしてそもそも、整合性だけ取れればいいのか?
おそらく現実には、整合性を判断する能力のない人は、能力ある人の知恵を借りるという選択をする。
とは言っても、詐欺師もプロの顔して騙してくるわけだから、ここで、どのようなソースなら信用できるか、を見極める力がいる。
科学リテラシーとは、その意味では「より広い知識を基盤にしてより鋭く整合性を分析した議論を選び抜く力」なのだろうか。
だとして、どこでその技術を身につけられるのか。