小学校の時の話。図鑑をよく見ていたわけだが、ここでふととある問題に気がついた。

 

「1日は24時間」

という知識と

「1日は太陽が昇って落ちる周期」

という知識、さらには

「天体が一日に動いてみえるのは地球の自転のせい」

という知識が私には(そこまで明確な形ではないが)あった。

 

2つ目と3つ目の知識を組み合わせる。ここで、「天体」に「太陽」を選ぼう。すると

「1日は太陽が昇って落ちる、という地球の自転によって起こる現象の周期」

と読める。さらに直観論理的に

「1日は地球の自転周期」

と言ってしまうことができるような気がしないか。

あるいはこのようなフレーズを何処かで聞いていたのかもしれない。

 

しかし、実は上の議論は間違っている証拠を小学生の私は確認してしまう。

地球の自転周期は24時間ではなくて、23時間56分程度なのであって、そのように図鑑に明記されていたのである。

 

「24時間と23時間56分。この4分の差は一体なんだ?」

 

小学生だった私は悩んで答えを当時正確に出すことはできなかったことを思い出す。

 

正確な結論を知ったのはいつだっただろうか。

 

結論を言えば、地球の運動には太陽周りの公転運動もあるために、自転している間に太陽のみえる方向が変化してしまうので、太陽が同じ位置に見えるまでに回らなければならない角度が360度よりも大きい分の効果で、自転周期は360度分しか考えていないからなわけである。(絵心がないので絵がかけなくてすみません。)

 

この効果を大雑把に見積もってみよう。

1年(だいたい365日)かけて太陽の見える方向は一周することを思えば、1日あたりだいたい360/365、つまりだいたい1度変化する。

したがって、23時間56分で360度のところを361度進むには、だいたい1度分回す時間、24/360時間、すなわち、24*60/360分、つまり、4分くらいズレが生じるという話になる。

 

ここまでの見積もりでは24時間と23時間56分を同一視したり、360と365を同一視するなど近似を多用しているが、まあ、数字上悪くないわけである。

 

これを小学生にどう伝えれば良いだろうか?

どうすれば納得するだろうか?

 

自分の過去を思い返すと悲惨だ。

人の話を聞きながらその演繹を追いかける能力において全く自信がない。今もない。

小学生の頃の自分など、話を聞いて騙されることにおいてはプロレベルだろう(どんなプロかしらんがw)

「もっとコウペンちゃん」p.25で完全にうたがってるアデリーさんと信じたままのコウペンちゃんの並びで完全にコウペンちゃんサイドだし、まだ書籍化されてないようだがコウペンちゃんの「鶴は千年、亀は万年、ペンギンは?」でアデリーさんが「億年」とか言って?マーク飛ばすような感じで?を飛ばすプロだっただろう。

 

昨日ラジオで放送大学のチャンネルを聞いていたら類人猿と人の認知能力の議論があって、幾らか改変するが、次のような話で、

 

「AさんがパンをAさんの棚にしまってAさんはお出かけしていなくなった。その後でAさんのお母さんがそのパンを冷蔵庫に持って行ってしまった。お出かけから帰ってきたAさんはパンを食べたいと思いました。このとき、Aさんがまず探すのはどこか?

 

この質問に対して、われわれはAさんの棚を探す、と答えるのだが、しかし●歳の子供にこの質問をすると冷蔵庫を探すと答えます。これは●歳の段階では全てを知っている自分とAさんとを区別することができず...」

 

などという話を聞いて、私がその問題を●歳で解けた気がしなかったのを思い出した。というか、小学生の頃それを正確に解けただろうかと疑わざるを得なかった。

 

否、そのような混同を非常にしやすいながら、それでも懲りずに演繹操作をし続けたところが私なのやもしれぬ。

 

ツイッター上で「足立区の天才物理学者 田村三郎」とツーショットで苦笑いした私の画像が流されているのだが、

このツーショットで写ってる齢80過ぎのトンデモおじいさんが月の自転に関してこんな動画を上げている。

https://www.youtube.com/watch?v=eK7Wt1PcxUY

 

ここでこの爺さんがやらかしているミス、すなわち、基準となる方向ないしそれを示す線を回転系に固定してとるのか、慣性系に固定してとるのかという問題はまさに自分が小学生時代にやらかしていたミスのように思う。

 

そんなこんな思うとこの痛々しいツーショットはなかなかに刺さるものがある。

 

そしてそのような痛々しい混同をしているであろう自分に、地球の自転時間の議論を正しく伝えることができるとは、私には思えないわけである。