my story vol.11

股関節とは左右に2つあり、身体を支えてくれている。
片側が回復するのを待つ必要があり、反対側の手術は翌年という計画で第二ラウンドに挑んだ。

痛み止めも変更してもらい、行程も把握しており、出来ること出来ないこと、予め準備しておきたいことを網羅した上で、まな板の鯉とは、まさにこのことだと腹を括った。

初回の自分が哀れに思うほど、痛みのレベルも想定内だった。リハビリを頑張っても質が変容して増す鈍痛は、慣れるものでもなく辛かった。
院内の車椅子用トイレで、ある夜ふと、「世の中で、苦しんでいる方の肩代わりになれたら」と言う勝手かもしれないが、祈りのような想いに転換する瞬間があった。それ以来、辛い時こそ祈る姿勢で乗り越えてこれたと思う。

留学初期の多感な時期に、何気なく思い出して歌ってみた童謡や聖歌などに、何だか勇気づけられたことを思い出していた。

相部屋の隣のベッドに、ある夜、ピッカピカの小学生が、骨折で緊急入院してきた。
この少年を「カエルくん」と名づけ、まるで子分のようにお世話がかりをしてもらった。逐一ナースさんを呼ばなくても、届かないものをとってもらったり、別室の患者さんに伝言をお願いしたりと、色々と助かった。

車椅子で院内を一緒に練り歩くのも楽しかった。

納豆を毛嫌いしていた少年に。その美味しさと魅力を伝えて納豆嫌いを克服させたのは、祐吉だ。

一緒に駄菓子を分けっこしたり、折り紙で遊んだり、24時間ずっと一緒なので、合宿のような感じで家族のように過ごせた。

車椅子→松葉杖と回復して、腕も肩もパンパンだった。

思うように動かない身体はどうしようもないくらい重く感じたが、個室の患者さまを尋ねてお団子を食べたり、同じ手術で入院してくる方たちと情報交換したり、合宿生活を満喫していた。

同日オペした大阪のおっちゃんを隊長と呼び、同じ股関節症の方と「股関節隊」同盟を結んでいった。祐吉は副隊長である。

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