猫の受けた虐待と払った努力 | 私が不倫をした理由

私が不倫をした理由

ヒステリックなモラハラ妻との、まるで地獄のような20年間の結婚生活から離婚までの記録を綴っています。

 本日二本目の記事です。

 

 前回からの続きの記事となっています。合わせてお読みになると、より理解が深まりますので、まだお読みになっていない方はまずこちらをお読み下さい→「毒親は100%加害者で、自分を正当化する事など決して出来ない。

 

 

 

 私は妻の全てを知っているわけではありませんし、根掘り葉掘り聞いた事もありません。

 しかし時折妻の口から、子供の頃受けた母親からの虐待の数々を聞かされました。

 それらを繋ぎ合わせ、私なりに彼女が毒親から受けた虐待に関して考慮したいと思います。

 

 

 

 彼女は耳が少し悪いです。

 普通の声でぼそぼそっと話すと、

「え?何やって?」

 と聞き返されるので、少し大きい声で話すようにしています。

 

 

 

 これは彼女が幼い頃、毎日毎日何時間も、母親から耳元で怒鳴られ続けた虐待によって、聴力を奪われてしまったからなのです。

 毒母は数百メートル離れた家まで聞こえるような大声で、三時間も四時間も、自分の気が済むまで、まだ幼かった妻の耳元で怒鳴り続けたそうです。

 

 

 

 暴力による虐待も多々受けていたそうです。

 これは彼女が、体の大きくなる中学生頃まで続いたと聞いています。

 

※写真はイメージです。

 

 彼女が小学校高学年だった頃、毒親だった母に、手紙を書き送りました。

 内容は、

「私を愛して下さい」

 というものだったそうです。

 

 

 

 彼女は親から当然受けられるべき愛を、心から欲していました。

 そして勇気を出して、自分の気持ちを手紙という形で吐露しました。

「愛して欲しい」

「私を愛して欲しい」

「お願い。怒鳴らないで、愛して」

「お願い。叩かないで、愛して」

 

 

 しかし毒母は、彼女の切実な願いを無下に却下しました。

 

「じゃあお母さんの溜まったストレスは、どうしたらええの?」

 

 毒母は妻にそう言ったそうです。

 つまり、毒母は彼女を叱っていたのでは無いのです。怒ってすらいませんでした。

 ただ、自分のストレス解消のはけ口として、毎日何かの子供の小さな粗相を見つけては、それをネタに大声を張り上げて罵り、時にはストレス解消のはけ口として、幼い彼女に暴力を振るい続けたのです。

 

 

 

 妻は大学入学を機に、家を出ました。

 もう二度と、悪魔が住むこの家には戻らない。

 そう決意して実家を離れたそうです。

 

 

 

 しかしある事情があり、今から10年程前に実家に帰る事になりました。

 

 

 

 妻は、これまでの事を全て水に流し、毒母を愛そうと努力しました。

「大好き」

「愛してる」

「大切だよ」

 そんな言葉を、事ある毎にかけてあげました。

 

 時には、母を抱きしめてあげました。

 彼女は実家に住んでいた数年間、毒親を愛する努力をし続けたのです。

 

 しかし歳を取った母親は、昔知っていた毒親のまんまでした。

 妻が努力し、毒母を愛する努力をしたにも関わらず、毒親は毒親のまま、妻を自由に操れるロボットのような存在と見なし、自分のストレスのはけ口と見なしました。

 

 以前のように怒鳴ったり、殴ったりは出来ないものの、今度は父親の中傷を延々と聞かされたそうです。

 

「お父さんの悪口は聞きとうない」

 妻がそう言って拒否すると、毒母は昔と同じ言い訳をしました。

 

「じゃあお母さんの溜まったストレスはどうしたらええの?」

 毒母の根本にある考え方は、齢を重ねても何一つ変化していませんでした。

 

 

 

 中傷は、言った後は一時的にすっきりはしますが、それは単に一時的なものです。

 中傷は言えば言う程中毒になり、中傷を言わずにはいられなくなります。

 中傷を言う為には、相手の悪い点を思い起こさなければならず、それにより苛々はさらに蓄積されます。

 つまり中傷は、言えば言う程怨念がチャージされ、すっきりするどころかその逆なのです。

 中傷は言えば言う程、ストレスが溜まるのです。

 

 

 

 私はこの話を聞いた時、妻のお母さんは、死ぬまで変わらないだろうなと思いました。

 妻は最後のお別れをするまで、毒親との関係を修復する為の努力を払い続けたのです。

 でも受け手の毒母はそれを全て退けました。

 

 彼女のブログを読んで、色々とコメントをする方がいます。

 勿論言論の自由はありますし、あなたが彼女の記事を読んで何らかの反論感情を持ち、批判コメントを付けるのは、あなたが有している権利だし自由です。

 

 しかしこうした背景を知っても尚、同じようにコメント出来ますか?

 

 妻は相当の努力をし続けました。それでも関係修復は出来ませんでした。

 人にはそれぞれ背景があります。

 そうした背景を知らないのに、批判コメントを付ける行為は、加害者であり、恥ずべき行為であると私は思います。