父親から『おまえは兄貴をみならえ』『兄貴は勉強したから良い高校へ行った。お前はどうだ』『お前なんかが部活やっても上手くいかない』『お前は事務職の方がいい。営業なんて絶対できない』と言われて育った。

 

私はかなりキビシめの天邪鬼なので、【絶対勉強しない】【部活頑張る】【営業の仕事をする】と、その時々で将来性やらは何も考えずに、ただただ【親のいう事だけは絶対に聞くものか!】という思いだけで人生を歩んできた。

 

結果として、試験勉強を全くせずに県下で2番目の進学校に入学、部活(弓道してました)ではインターハイにも国体にも出て、大学へは行かず(勉強してませんので)、営業の会社へ就職した。社内表彰を受け、支店長になり、全国を転々としている時、その父親は死んだ。

 

晩年の父は認知症もあり、なかなか大変な状況だったらしいが、母がずっと看病していた。父が死んだのは、その母が買い物に行った20分の間だったらしい。看取るものは居なかった。

 

思えば母親はいつも父の面倒をみていた。

 

父は若いころから体の調子が悪く、手術ばかりしていた。だから療養という事でいつも家にいる。

 

働いている父親の記憶はほとんどない。

 

母は一家を支えるべく、身を粉にして働いた。子供2人と病人を抱えて、大変だったと思う。

 

なので贅沢をしない。今もそうだ。どれくらいの効果があるか不明だが、充電済の携帯はコンセントごと抜かれている。

 

体力勝負の仕事をしていた父は、こういう自分の状況が不甲斐ないと思っていたのかいなかったのか、毎日、居間で横たわりタバコをふかす。他にすることも出来る事もないのだ。

 

 

『ろくに学がなく、体がいう事を効かなくなってもちゃんと仕事が出来るように』

 

 

と、【勉強していい所に就職しろ】が父と母の口癖となった。

 

兄貴は真面目だった。いわゆる優等生だ。とても勉強ができ、先生からのウケもよかった。それは小・中・高・大と続き、今は好きだった語学を活かした仕事をしている。とても立派だ。

 

兄貴は私の5つ年上である。

 

勉強がどうとか言われ始める小学校の高学年にもなると、兄貴は中学校で良い成績を収め、県で一番の進学校に進む。

 

父も母もそれがうれしかった。

 

 

『おまえも兄貴みたいに勉強していい高校に進めよ』

 

 

兄貴が高校から大学へ進み、地方の大学からは就職が難しいような一流企業への就職が決まった時も、父と母はとても喜んだ。

 

 

『おまえも勉強していいところへ就職しろよ。兄貴は1年目から総務部だそうだ。普通は営業に回されるんだが、優秀だからと配属されたらしい』

 

 

私は勉強しなかった。全くしなかった。誰もがそれを知っていた。

 

中学校での中間テストなんかの範囲が決まっているテストだと、学年でもかなり下のほうだった。

 

ただ、学力テストになると、かなり上位だった。1桁から落ちる事は無かったと思う。

 

学校としては、そんな勉強しないヤツが良い高校に行ってしまうのは困るようで、『お前の判定はぎりぎりだから、ひとつランクをおとして受験したほうが良いぞ』と言ってきた。

 

べつにどこでも良かったので、その高校で話は進んだ。

 

もちろん合格した。特別練成クラスという入試の結果が良かったものが入るクラスに入った。それは県下で一番の高校にも合格する点数だった。

 

父と母は喜ばなかった。

 

 

『お前は勉強しないから、兄貴と同じ学校にはいけなかったな』

 

 

そんな進学高で、私は本格的に勉強しなくなった。授業をさぼったら、家に電話がかかってきて、父も母も悲しんでいた。

 

ただ部活は頑張った。弓道部だ。入ったのはクラスメイトとたまたま見学にいったら、先輩に取り込まれてしまったからで、最初から興味があったというわけでは無い。

 

自分に集中力があると気づいたのはこのころだ。短い集中を繰り返す事はいくらでもできた。試合にも勝った。2年になってからは、3位以下の成績で終える大会は無かった。そしたら国体の選手に選ばれた。香川県代表だ。

 

国体で入賞し、メダルを握りしめて帰ってきた私に、

 

父と母は

 

 

『勉強もそれくらい頑張ったら、もっと良い学校にもいけたのに』

 

 

といった。

 

 

両親の抱擁ではなく、『やればできる』という言葉と自信が自分を包み込んだ。

 

 

それからは、両親に対して特に何も思わなくなった。

 

 

 

 

 

 

幸いにも、こういう成功体験を得たので、私はまともに生きている。と思っている。

 

自信の無い人に『自信を持って』というのは簡単だ。

 

しかし、過去のトラウマや、育った環境のせいで、そう簡単に自信を持てなくなった人も多くいる。

 

 

今、自分は4歳の娘の親となった。

 

この子が『親の想いの奴隷』にだけはならないように、ただのびのびと育ってくれれば、とてもうれしく思う。

 

 

 

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ひとつ父親を尊敬できるところがあるとすれば、父のつくるおでんは最高に美味しかった。

おでんを食べるときは、かならず父を思い出すよ。