私の生活を語るに欠かせない父の介護。今日はこれまでの経緯をざっと説明してみます。


大酒飲みだった父が、体調不良により酒を飲まなくなったのが2007年夏前くらいかな。


で重い腰をあげて病院に行ったのが9月。そこで大腸癌が見つかり、癌センターを紹介され、ソッコー入院させてもらいました。

10月には摘出手術をし、手術は成功して、退院も割と早くできました。

が、術後の検査で肺とリンパへの転移が見つかってしまい、医者には抗がん剤治療を進められましたが、術後で体力が落ちているのもあったし、本人の希望により、抗がん剤治療は見送ることに。


その後、年明けて2008年あたまには仕事も復活するまで回復し、春くらいには調子に乗って、酒やタバコを吸うようになってしまいました。


そして術後ちょうど一年後の2008年9月末くらいに、突然字が書けなくなり、その何日か後に職場で倒れてしまい、脳神経外科に行ったら、頭に無数のガン転移が見つかりました。

この日から、日に日におかしくなるのが目に見え、一週間も経たないうちに、自分の名前も書けなく、歩くのも誰かの助けが無ければ歩けないほどになってしまいました。

で、またすぐに入院し、今度は頭全体のガン細胞を叩くため、10日間、計30gyの放射線治療(全脳照射)を受けました。

自分の病室も覚えられず、字も書けない、辞書を引こうとしても、どこに目当ての字があるかも探せない。けど、必死に何かをしようとしていました。

最初は私もかなりショックで、アパートに帰り一人になるたびに泣いていましたが、家族の前では勤めて明るく振る舞うようにしていました。


とにかく放射線治療って凄くて、照射後すぐに歩けるようになり、一ヶ月も経たないうちに、週に一日くらい仕事にも行くようになりました。


普通の生活ができるようになってから、今度は肺とリンパの癌を叩くため、2008年11月から2週間に一度抗がん剤治療(FOLFOX6)を開始。

年明けて2009年になったあたりから、食事がほとんど取れなくなり、抗がん剤治療も休み休みになり、ほとんど寝て過ごすようになってしまいました。

そして2月になってから、少しずつボケ症状が出てきて、2月半ばには風呂場で気を失い、次の日にも着替え最中に気を失い、病院で見てもらったら『てんかん発作』とのこと。


さあ、これからが本当の介護のはじまりですね。


続きは後ほど。