右足と左足の間から、フェロモン出しすぎたかな。
今日は、トルクメニスタンのビザを取りに行く日です。
すなわちタジキスタン最終日です。
朝1番に取りにいき、そのままウズベキスタンのブハラを目指します。ワクワク
テントは朝が寒い。
毎朝、5:30に目覚めてました。
目覚ましは寒気。これ効くぅ
大使館は9:30からなので、それまでに出発の準備を済まします。
荷物の片付け。
そして、バリカンで、髪と髭を整える。
ほら、ゴシゴシ洗うとこんなに綺麗になります。
よし!
いつも、こんな感じで気合い入れてます。
時間です。
僕には珍しく40分前の9時前に着きました。
すでに数人が待ってます。
ここ、トルクメニスタン大使館は1人づつ呼ばれるので、門の前で待ちます。
なんか、いよいよだなって感じです。
なんといっても、トルクメニスタンに行きたくて、中央アジアに突入しました。
そして、タジキスタンでのビザ取り生活、計17日間もトルクメニスタンの為に耐えた日々。
なので、余計に力が入り、ワクワク、ドキドキ期待が高まります。
そして、呼ばれたので大使館の中に入ります。
そして、いつもの職員の人。
この職員
僕の顔を見るなり一言
この一言が、僕を困惑、そして絶望に落とすのでした
職員「プロブレム。」
ん
ぷろぶれむ?
この時は、最悪の事も考えましたが、まさかと言う気持ちと、受け入れたくない気持ちからか、すごくすごく小さな問題だろうと思いました。
しかし
プロブレム
ノービザ
え、
のーびざ?
この時もまだ信じたくない気持ちと…
いや、かなり心は、ざわついてましたね。
でも、まだ覆るかも、諦めてはダメだと思い、食らいつきました。
なにか説明をし出す職員。
で、地図を書きながら国境の名前を連呼してましたので、国境付近で問題が起き、通れないのだと思いました。
なので、国境がダメなのか聞くと違うと
日本人がダメなのか聞くと違うと
問題があるのは君だけだと
もうね、意味がわかりません。
トルクメニスタン、これが凄く楽しみで、その為だけに動いてた。
トルクメ同盟のメンバーは数日前にビザを取れていたので、自分もなんの問題もなく取れるもんだと思ってました。
職員と僕のやり取りは、言葉の壁と、温度差からか、次第に邪魔者扱いを受け、次の奴がいるから早く出ろと言われます。
諦めず英語を話せる職員と電話をさしてくれと頼みます。
しぶしぶ、電話をかけだす職員
いやぁ情けない
電話の英語って、目の前で話される英語と全く違うのね。
全然わからなかった。
どれだけ、言葉以外のコミニケーションに頼っていて、大事か思い知らされた。
粘り何度も説明を乞うが、電話を取り上げられ、部屋を出ろと言われた。
何度訴えても変わらない、君はプロブレムだからビザは発給出来ない。
わかったのはそれだけでした。
もうここから放心ですよね。
なんの為の17日間なのか
中央アジアに来た意味さえ疑い出す始末。
宿に戻りすぐにトルクメ同盟の2人に連絡するが、移動中なのか連絡付かず。
ソファーに座り込み、何もする気が起きない俺。
いや、ずっとイライラ、そして胃がキリキリと痛かった。
もうこの時は誰でもいいから話を聞いて欲しかったですね。
誰も連絡つかなかったけどね(-_-)
時間だけが過ぎる
納得できない。が、諦めようとしている。
じゃないと、イライラがおさまらないのだ。
夕方16時、突如、日本大使館に行く事を決める
ダメだ納得できない!
できる事はしておかないと
時間も時間なのでタクシーに乗り込み日本大使館へ
パスポートを渡し待つ。
なぜか中に入れず(こんなもん?)電話対応。
久しぶりの日本語に安心する。
ビザの経緯を話すと、大使館同士、ビザ関係に関しては聞かないのがルールらしい。
デリケートな部分なのか。
なので、なにも出来ないと。
日本大使館職員の対応は柔らかく非常に丁寧だった
「すいませんお役にたてずに、他に何か困ったことはありますか?」
と聞いてくれたが、すがる相手にあしらわれた気がして「じゃ逆に、何ができるんですか?」と、言いそうになったが、「ありがとうございました、大丈夫です。」と大使館を後にした。
取れない理由については結局はわからないままである。
結局、気持ちを切り替える事が出来ずもう一泊する事になった。
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しさ