この時期になるとやはりこうした分野が琴線に触れてきまして。
ハリマオ・・・若い衆はご存じないかもしれませんね。
“ハリマオ”はマレー語で“虎”を意味する言葉で、この名を冠したヒーローが戦中・戦後と、映画、浪曲、小説、テレビ、漫画と一世風靡した時期がありました。
もっとも流石に天保銭も、そういったメディアでのハリマオはリアルタイムで目にしてはおりませんが。
頭にターバンを巻き、派手なアラベスク模様のシャツにゆったりとしたズボン。首にはスカーフ、顔にはサングラス。
拳銃を片手に部下を率い、馬に乗って悪党を退治していく。
往年の特撮物に影響を与えたTV番組の「怪傑ハリマオ」は無国籍、年代不明の“正義の味方”だったのですが、このハリマオにはモデルとなった人物が存在しておりまして。
太平洋戦争の開戦時に、東南アジアにおいて日本陸軍の特務機関員として行動したマレーへの移民・谷豊氏です。
戦時中は、部下三千人を率い密林を駆け巡り軍に協力した軍国美談として、戦後は一変して軍の命令に逆らって民衆と共に戦う「怪傑ハリマオ」として、いずれの時代も“正義の味方”としてメディアに登場したハリマオですが、その実像はあまり知られておりません。
その謎に満ちた生涯を、博多に始まりマレー半島を経てシンガポールまでつぶさに追っていったルポルタージュが本書です。
豊氏の幼少期に家族と共にマレーシアに渡り、理髪店を営みながら現地社会に溶け込んでいた谷一家でしたが、支那事変を機に現地で勃発した反日暴動により年少の妹が首を刎ねられて亡くなります。
その後、豊氏は現地のマレー人と徒党を組み、華僑を標的に金品強奪を繰り返すようになり、“ハリマオ”と恐れられるように・・・この噂を聞いた日本陸軍の特務機関“F機関”は“ハリマオ工作”を発動する。
資料の乏しい特務機関の話を、当時を知る関係者から話を伺いながらよくもここまで緻密に調べたもの。頭が下がります。本書は1988年に刊行されたものですが、話を聞くタイミングとしてもぎりぎりだったのでしょう。
ハリマオは昭和17年(1942年)、シンガポール陥落直後にマラリアによりシンガポールの病院にて息を引き取ります。31歳の生涯でした。
イスラム教に改宗し、現地社会に溶け込んでいたハリマオの遺体は、マレー人の部下によって運ばれて行き、シンガポールのヴィクトリアストリート沿いにあるモスクに眠っているそうです。
かって、こういう日本人がいたということは知っておくべきことなのでしょう。