通りがかりの人に道を訪ねながら、ようやく千本釈迦堂の参道に出た。
細いながらも整然とした石畳と植栽の参道。
千本釈迦堂は通称であり、正式には大法恩寺である。
承久3年(1221)に義空上人が開山。
写真は山門。
この寺はなんといっても国宝本堂であろう。
安貞元年(1227)築で京都ではもっとも古い建物として知られる。
桁行5間、梁間6間の質実剛健なお堂である。
内部に入ると厨子と天蓋(国宝)があり、本尊釈迦如来坐像(国重文)を納めている。
来迎板壁仏画(国宝)がわずかに色を残して描かれていた。
当然ながら本堂内は撮影禁止である。
写真は朝日新聞社発行の「日本の国宝」061号より転写した内陣。
三間四方の内陣の中の、一間四方の四天柱に囲まれた内内陣は格天井として須弥壇をもうけている。
同じく外陣の写真。
実に素朴な造りで格子戸が美しい。
本堂前から境内を眺めた写真。
また小振りなお堂は北野経王堂ゆかりの小堂である。
足利義満が「明徳の乱」の戦死者の供養のため、北野経王堂願成就寺という大堂を建てた。
当時は三十三間堂の1,4倍の広さであったという。
その後解体されたが、遺構の木材で建てられた小堂とのこと。
不動明王堂には山名氏の念持仏を安置している。
またお亀像と、墓の宝篋印塔が並んでいる。
国宝本堂建立時の大工の棟梁が建設時に四本柱の一本を短く切ってしまって悩んでいたところ、妻のお亀の一言がヒントとなり無事上棟式を迎えることができた。
妻のお亀は、女の提言によって夫の名声が落ちてしまわないように自ら命を絶ったという。
写真はお亀像前のお亀桜。春には見事な枝垂桜が咲くという。
写真は小振りながら整然とした稲荷堂。
霊高殿(宝物殿)に入ると、十大弟子像、六観音像、傳大師と二童子像、千手観音像などの国重文仏像が並び、ほかに北野経王堂一切経5048巻の一部などが展示されていた。
見学者はたまたま私一人で心行くまで拝観することができた。
ただ絵葉書などは一切販売していないので写真を載せられないのが残念。
写真は霊高殿の外観。