かなり疲れ果てたが、ここまで来たのだからと長岡京跡を目指して歩いて行く。

ようやく大極殿公園に出た。

歴史をかじったことある人であれば、一度は訪ねてみたいと思う幻に近い都である。

 

入り口に宝幢が復元されていた。

元旦の儀式の時に立てられた七本の旗は高さ9mに及んだという。

この公園の一番南側にはもっと立派な宝幢が二本復元されていたので写真はこちらの方を。

 

派手な屋根があったので休憩所かなと思って近づくと、長岡京の説明が掲示されているのみであった。

現在は大極殿の建っていた部分のみが公園として残されている。

 

長岡京は平城京と平安京との間、桓武天皇の命により延暦3年(784)から10年間にわたって内裏が置かれ政治の中心を担ったところである。

東西4,3km、南北5,3kmの広さであったが、その一部が保存されて公園となっているが、多くは住宅地となりまた阪急線で分断されている。

写真は長岡京の復元図。カメラを構えた私の影が写ってしまった。

 

また長岡京の礎石と言われる石が七つ並べられていた。傍には石塔が置かれている。

 

この辺りは大極殿跡と、天皇が大極殿に入る控えの間の小安殿跡とされる。

しばし古の天皇、貴族文化の香りに浸る。

 

大極殿公園の全体写真。

 

さらに公園を通り抜けて東側の阪急線のガードをくぐったところに「内裏内郭築地廻廊跡」がやはり公園として保存されていた。やはりこの辺り一帯が長岡京跡であることを実感する。