光明寺の総門から出て、真っすぐな道を振り返りながら東にと歩いて行く。

周囲は一面に田畑が続き光明寺あたりの山容も遠く見える。

 

 

光明寺からは歩きながら乙訓寺、赤根天神社、角宮神社、さらには向日神社、長岡京跡を辿りながら西向日駅という計画。乙訓寺以外は全く初めて訪ねる寺院であり楽しみでもある。

 

歩いて行くと考えていた以上に距離があり、ようやくのこと乙訓寺に到着。

その表門前の左に西向寺が門を開いていた。

西山浄土宗の寺院、山号は熊谷山。

写真は本堂と地蔵堂。

 

乙訓寺(おとくにでら)の赤い山門は一軒一戸四脚門で元禄8年(1695)築。

創建は推古天皇の勅願で聖徳太子が開基。

延暦4年(785)に早良親王が幽閉された寺であり、さらに弘仁2年(811)に空海が別当となったという歴史を持つ。

 

ぼたん寺として名高く、参道の両側にぼたん畑が続くが、今は時期外れであるのが残念。

 

境内参道の四つ角に日限地蔵尊堂が建っている。

 

境内の写真。先に鎮守社の鳥居が見え、その右手が本堂となる。

 

写真は本堂。

元禄8年(1695)築の桁行三間梁間五間の宝形造。

真言宗豊山派の寺院、山号は大慈山。本尊は合体大師像。

 

鎮守八幡社の本殿は一間社流造でやはり元禄8年築。

 

境内のモチノキは樹齢400~500年とある。

 

さらに鐘楼、十三重石塔。

 

裏門は元禄8年(1695)築の一軒一戸の簡素な高麗門であり、ここから出て赤根天神社に向かう。