高尾山口駅から京王電車に乗って南武線乗り換え駅の分倍河原駅に到着。

登戸での夜の会食の約束17時までまだかなり時間を持て余しているので急遽、分倍河原の南地区を歩いて分倍河原古戦場跡を訪ねることを思い付いた。

駅員さんに道を尋ねて、駅の南側に出ると目前に銅像が立っていた。

いつも電車の車窓から見ていた銅像であるが、近づくと新田義貞像であった。

このあと訪ねる分倍河原の戦いの主役である。

 

その前の道を斜め西に歩いて住宅街に挟まれている小振りな高倉塚古墳をまず訪ねる。

府中崖線(はけ)の斜面上に広がるこの地区には25基の古墳があり、この古墳はそれを代表するとある。

 

続いて近くにある光明寺に立ち寄る。

門前に六地蔵が並ぶ。

 

本堂は鉄筋の近代的なビルであった。

本堂はビルの二階にある。

 

境内に見事な弁才天像があるのにびっくり。

 

分梅通りという変わった名前の通りに出た。

分梅は古くからある集落であり説明碑が立っている。

また交差点の真ん中が小公園になっていのに驚く。

 

南にと歩いて行くと高速道路の高架を越えたところに目指してきた分倍河原古戦場碑がたっていた。

元弘3年(1333)5月に、分倍に陣を敷いた北条泰家の軍に攻めかかった新田義貞の軍は、一度は敗れたが数日後に近くの豪族の援軍により北条軍を打ち破った戦いの場となった。この6日後に鎌倉幕府は滅亡した。

 

この辺りから川の流れと共に広い緑歩道が続いていたのにまたまたビックリする。

緑歩道というより公園が続いている。

 

まだ少し時間があるので、分梅通りを北に戻って行き、先ほど光明院から遠くに見えたこんもりとした森に向かう。

南武線の踏切を越えたところに八雲神社の境内がひっそりとあった。

 

ただ境内には樹木が点在し、質素な社殿が建つのみである。

祭神は牛頭天王、スサノオ尊で、700年位前の創建。

本殿は文亀佑3年(1867)築の一間社流造。

奥に天王塚古墳があるようだが残念ながら見逃してしまった。

 

写真は境内社の稲荷社。

 

分倍河原駅まで戻り、南武線に乗って登戸に下車して友人との待ち合わせの居酒屋に行く。

かなり歩いた疲れも手伝い、すっかり酩酊してしまった。