閑話休題。
「緊急事態宣言」で外出がままならず、ストレスのたまる生活が続いている。
「自制心」と「他人を思いやる心」との闘いであると自覚して我慢の毎日である。
2月から3月にかけて都内の寺社を再訪したのが三か所あるので記載してみたい。
南武線分倍河原駅で京王線に乗り換えて高幡不動駅で下車。
高幡不動尊を訪ねるのは15年ぶりであろうか。
駅舎は近代的な建物である。
すぐ右手が参道入り口で、お土産屋・飲食店などの門前町を形成している。
参道から正面に山門の仁王門が見える。正式には金剛寺であるが、高幡地蔵尊として親しまれている。
仁王門(国重文)は室町時代築で昭和35年に解体修理され現在の形になった桁行三間、梁間二間の重層八脚門。
写真は仁王像。
仁王門の右には朱色の鉄筋宝輪閣(お札所)が建っている。
正面に建つ不動堂(国重文)は康永元年(1342)築で東京都最古の文化建造物である。
その後昭和31年に解体修理された五間四方の入母屋造。
不動堂では大勢の信者が集まり、読経がされていた。
仁王門、不動堂は総門から大日堂に続く参道からは少し右に建っているのが面白い。
不動堂横の参道に枝ぶりの良い「旗かけの松」がある。
この日も平日にも拘わらず、大勢の参拝客でにぎわっていた。
とりあえず参道の右側のお堂を見ながら時計回りとは反対廻りで歩くことにする。
不動堂の後ろに奥殿があり、寺宝展をやっている。
本尊の不動明王像と矜羯羅童子・制吨童子像(いずれも国重文)は、不動明王像が285,7cmと大きな造で見るものを圧倒する。
写真は買い求めた冊子(1500円)より転写(以下同じ)。
他に国重文の古文書・工芸品などが展示されていた。
写真は弘法大師後遺告(国重文)で同じく転写。
萬壽2年(1025)に覚源が写本したもの。
奥殿の右に上杉憲顕の墳がある。憲顕は享保4年(1455)に足利成氏の軍との戦いに敗れてここで自刃した。