旧東海道をさらに西に歩くと道端に小公園があり、「野路萩の玉川」の石碑が立っている。

この辺りの野路は平安~鎌倉期の宿駅であり、十禅寺川畔には萩の花が咲き乱れ、都からも多くの貴族達が訪ねて歌を詠んだ場所とある。

十載集で源俊頼は

「あすもこん野路の玉川、萩こえて 色なる浪に月やどりけり」

また十六夜日記に

「のきしぐれ ふるさと思う袖ぬれて 行きさき遠き 野路のしのはら」

 

角度を変えてもう一枚。

 

さらに西に歩いていると左手にこんもりとした森が見えてきたので立ち寄ると新宮神社御旅所であった。

新宮神社にはこのあと立ち寄る予定。

 

旧東海道をさらに西に行くと、右手にかなり大きな弁天池が広がっていた。

 

池の中の島に石橋が架かっており渡って行く。

 

小さい島には樹林が密集しており、入り口に石鳥居。

 

薄暗い樹林の中に浄財弁才天が祀られていた。

何となく万葉時代からあったのかと思わせる雰囲気がある。

 

ここからは来た道を引き返して、萩の玉川手前の信号を右折して、大通りを南に歩き京滋バイパスの信号を渡る。

その左手に野路小野山製鉄遺跡(国指定)があるというのでわざわざ訪ねて来たのだが、広場の先には住宅が立ち並んでおり、その遺跡の痕跡はどこにも無く、ただ説明板のみが立っていた。

 

野路小野山製鉄遺跡の説明版。