市川市内の真間の地は手児奈姫の伝説が色濃く残り、万葉集に五句も詠まれている手児奈姫伝説の地であり、今もその遺跡があちこちに残っている。

その手児奈姫伝説の地を巡ってみた。

 

弘法寺の参道の右手に、手児奈霊堂への参道入り口があり、その横に古い真名万葉顕彰碑が立っている。

 

手児奈姫を偲んでの万葉歌碑の説明版が立っていた。

 

写真は参道から手児奈霊堂を。

 

手児奈霊堂は手児奈姫の墓所と思われる場所に建てられたという。

手児奈堂も弘法寺の管理下にあるようである。

伝説によると、国造にそれは美しい手児奈という娘がいたが、沢山の男が娘に求婚にやってきて争いになったことを嘆き、真間の入り江の夕陽の海に入水したという。

「われも見つ人にも告げむ葛飾の 真名の手児奈が興津城処」山部赤人

 

お堂の右手には、昔の入り江だった面影を残す池が広がっている。

 

さらに真名稲荷神社が祀られている。

創建は不詳だが、万延元年(1860)に再建されたという。

 

近くに亀井院があり、境内に真間の井が残る。やはり万葉集に高橋虫麻呂の歌が残る。

「勝鹿(葛飾)の真間の井を見れば立ち平し 水波ましけむ手児奈し思ほゆ」 

 

弘法寺の参道に戻ると真間の継橋とあり、赤い橋と石碑が立っていた。

市川北部の台地と、西の市川砂洲との間にできた奥深い入り江が真間の入江である。

「葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の 船人騒ぐ波立つらしくも」万葉集巻14読み人知らず

 

万葉時代の話であり、あまり知られていない伝説でもあり、解り難くまた説明不足な点はご勘弁ください。

 

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