1月13日成人の日に、18年ばかり前にY夫妻と訪ねたことがある聖天院を訪ねて出かけてきた。

Jr立川駅に出て、青梅線で拝島に、八高線に乗り換えて車窓から田園風景を眺めながら高麗川駅で下車。

駅前から西に向かって真っすぐな大通りを進み、突き当りの信号を右折、次の信号を左折して高麗川に架かる新井橋に出ると、工事中で渡れない。十字路まで引き返して出世橋に出た。

出世橋とは縁起の良い橋である。

 

バス通りに出ると高麗神社前は車で大変な混雑ぶり。整理に当たっている人に聞くと成人の日だからとのこと。

とりあえず高麗(こま)神社からめぐることにした。

奈良時代に高句麗から渡来した高麗王若光が主祭神である。

天智天皇5年(666)に高句麗は唐と新羅に攻め滅ぼされ、多くの人が親密関係にあった日本に渡来した。霊亀2年(716)に日本に渡来していた若光以下1799人をここ武蔵国高麗郡に移した。若光は全員を良くまとめて地域の発展に尽くした。

写真は一の鳥居。

 

さらに二の鳥居の先の正面に神門が建っている。

 

拝殿は昭和27年築。

 

本殿は覆屋がされており、中の本殿(県文化)は安土桃山時代築の一間社流造。

写真は外から幣殿・本殿を撮ったもの。

 

参道左手から頂上に向かって細く険しい山道が伸びており、水天宮が祀られているとのことなので登り始める。

 

実に不規則で段差のある九十九折の石段を登って行くが、降りてくる人とすれ違えないため、お互いに譲り合いながらまた登って来たことを後悔しながらようやく到着。

頂上には小さな祠があるのみで、周囲の展望もあまり効かない。

祭神は安徳天皇。

 

ここから境内を見下ろした写真。

 

他に参集殿、神楽殿があり、この日は屋台がずらりと並び、神楽殿でも催しがされていた。

 

本殿の奥に高麗家住宅(国重文)がある。

高麗家は高麗神社の代々神職を務めてきた。

慶長年間(1596~1615)築とされ、入母屋造の茅葺で、桁行7間半、梁間五間。

内部は土間と五つの部屋から成るが、この日は入れなかった。

 

写真は高麗家住宅の見事な外塀。