総持寺祖院を後にして、走ってきた旧高速道路を戻って行き、羽咋市内に
入り妙成寺(みょうしょうじ)に到着。
19年前に訪れてすごく感激したのを思い出す。
宗派は日蓮宗本山、山号は金栄山。
入り口には簡素な高麗門が立っており、この日も多くの参拝客でにぎわっ
ていた。
この高麗門が寛永5年(1665)築というから驚く。
高麗門を入ると掃き目のついた砂と山門前の風景が目に飛び込む。
境内には国重文10棟の建物がびっしりと並ぶ様はまさに壮観である。
左手に池があり、傍に茅葺の浄行堂が建っている。
浄行菩薩を祀り煩悩の汚泥を取り除く。
二王門(国重文)は寛永2年(1625)築の単層三間一戸の楼門。
安置されている阿吽像は阿形が金剛像、吽形が那羅金剛像。
写真は仁天像。
その右手に建つ鐘楼(同じく国重文)も寛永2年築。
二王門を入った左手の高台に開山堂、経堂が建っている。
開山堂は延宝5年(1677)築で石造笠塔婆七基を安置している。
経堂(国重文)は寛文10年(1670)築で屋根の反りも美しく桃山時代の作風を残し
ている。
四代藩主前田光高の遺願により建てられた。
境内でひときわ目立つ五重塔(国重文)は北陸唯一の木造五重塔であり、高さは
34,18m屋根は栃葺で多彩な彫刻が見事である。
元和4年(1618)に前田家三代藩主利常の母寿福院が願主となり建てられた。
その後ろに加賀騒動で非業の死を遂げた大槻伝蔵の墓、寿福院の墓、浩妙院の墓
(三代藩主利常の長女で18歳で死去)がある。
写真は大槻伝蔵の墓。
寿福院は前田家三代利常の生母であり法華信仰に厚く、自分の母の菩提寺として本堂、
祖師堂、五重塔など七堂伽藍を寄進した。