すぐ近くに道明寺の母体でもある菅原道長ゆかりの道明寺天満宮がある。
写真は入り口の楼門前。
境内は思っていたよりも随分と広く、社殿に向かって左右に石灯篭が点在している。
垂仁天皇32年(3)に野見宿祢が殉死の代わりに埴輪を造った功績により、土師の姓と
一帯を所領地として賜った。始祖天穂日命を祀って土師神社としたのが始まりとされる。
その後、天暦元年(947)に道真が残した木像と遺品を神宝として安置し天満宮を創設した。
社殿は本殿、幣殿、拝殿が並ぶ権現造。
拝殿、幣殿は延享2年(1745)築の檜皮葺だが、本殿の建立年は不明。
祭神は菅原道真、天穂日命、覚寿尼。
写真は舞殿。
一茶句碑は一茶が寛政7年(1795)に立ち寄った時に読んだ句
「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」
社殿裏は広い梅林になっており、商売繁盛の和合稲荷社が祀られている。
80種800本の梅の木が植えられており、梅花の季節に来てみたいものである。
本堂の左には元宮土師社があり、天暦元年(947)に天満宮が創設されるまで本社で
あった。
祭神は天夷鳥命、野見宿祢、大国主命。
鳥居を出て、駅に向かうと境内の外の叢の中に夏水井がある。
道長40歳の時、叔母覚寿尼を訪ねてひと夏逗留した時に使用した井戸とのこと。
その隣にのぼり窯が復元されていた。
土師氏の頃、古墳に使う埴輪を焼いた窯が20以上あったという。
道明寺駅前商店街に出た。
何とも懐かしい商店街の雰囲気を今も残しているが寂しい通りでもある。
駅舎近くに「道明寺合戦記念碑」が立っていた。
大阪夏の陣で真田幸村軍と伊達政宗軍が激突した合戦である。
近鉄電車で阿部野橋駅に出て、JRに乗り換えて新大阪駅に戻り、新幹線で帰京する。