誉田八幡宮の境内は広く整然としている。
南大門を入った正面にあるのが恵比寿社。
その左隣に神馬が立っている。
さらに媛待稲荷社が祀られている。
社殿の右手から応神天皇陵に道が通じている。
途中、式内社の当宗神社がある。
祭神は素戔嗚命であるが、当初は朝鮮から帰化した「当宗忌寸」の始祖の山陽公を
祀っていた。
応神天皇陵への入り口に反橋の放生石橋が架かっている。
江戸時代前半築とされ、大祭の時に神輿が橋を渡って応神天皇陵に渡り、それ以外は
立ち入り禁止となっている。
応神天皇陵は正式には誉田御廟山古墳。
5世紀初頭造の前方後円墳。
全長は425mあり、仁徳天皇陵に次いで二番目に大きな陵墓。
広大な内濠の外に約48mの中堀があり、その外に幅35mの外濠があったとされる。
境内には他に層塔がある。
平安後期から鎌倉初期造で元は13重石塔であった。
また誉田林古戦場跡碑が立っている。
ここは戦略上の要地であり、南北朝時代には北朝細川兄弟と楠木正行との戦いを始めとして
三度戦いの場となり、大阪夏の陣では大阪方の薄田隼人正が大陣を張った。
放生池もある。
宝物館には国宝、国重文が展示されているが固く閉まっていた。
境内への正式な入り口の東側の鳥居から出て、誉田八幡宮を後にする。