柿崎神社バス停まで戻ると、真ん前に三島神社の境内があった。

ここにも吉田松陰像が立っていた。

 

正面に社殿が建つ。

祭神は大国主命、配神として中筒男命。康永年間の創建。

また式内論社の竹麻神社三座、大祀富許都久和気命神社を合祀している。

後方の覆い殿の中に本殿。

 

左手に柿崎公民館と厄神社()が並んでいる。

背後の地層は偽層(県文化)とのこと。

 

バスが来るまで少し時間があるので、海岸沿いの遊歩道を歩いてみる。

横長の弁天島が一望でき、沖の小さな島二つ、鶚島、犬走島も見える。

 

バスに乗って一旦、下田駅に戻る。

駅の西側にある福泉寺から山麓に並ぶ寺院を訪ねながら了仙寺まで歩いてゆくことに

してスタート。

福泉寺の門前に「日露談判下田最初の応接所跡」碑がたっている。

石柱門横には石地蔵が並ぶ。

 

写真は本堂。曹洞宗の寺院という以外は不明。

 

下田駅前の小路を南に入ると「こうせん塚」がひっそりと祀られていた。

江戸末期に一人の老婆が喉を患う人々を助けて評判になった。その老婆はいつも「こがせん」を

食べていたのであだ名となり、その死後に多くの人の浄財で建てられてという。

 

さらに少し南の歩いた小路奥に稲田寺が門を開いている。

 

山門を入ると右手に阿弥陀堂があり、お堂自体はそんなに大きくは見えなかったが、

内部に像高208cmという大きな阿弥陀像を安置しているという。

 

左手に安政の東海大地震(1854)の大津波での犠牲者を供養した「津なみ塚」がある。

 

正面に本堂。浄土宗の寺院、山号は敷根山、文正元年(1466)の創立。

また幕末、ロシア使節プチャーキンとの交渉に当たった幕府応接掛の宿舎となった。

 

近くの蕎麦屋「むさし」に入りとろろ蕎麦で昼食とする。とても美味しかった。