玉泉寺を出て海岸沿いの、吉田松陰が渡航を企てた弁天島に向かう。

当時は島だったが、今は防波堤などによって陸続きになっている。

柿崎海岸より写した弁天島の全景。

 

松陰が渡航のため身を潜めてといわれる社があり、入り口に渡航碑が立っている。

背後の縞々の地層の崖は、海底火山より噴出した火山灰や軽石が海流によって

運ばれて堆積し、近く変動で隆起したもの。

 

社は鷺宮社(弁才天)と下田竜神宮とが並んでいる。

写真は手前の鷺宮堂で「ささげ弁天」。

 

竜神宮は鬼子母神を祀っている。

 

弁天島鷺宮から下田湾を望む。真ん中の小さな影は観光船。

 

渡航碑の近くの藪の中に窪田空穂の歌碑が立っていた。

「心燃ゆるものありて踏む夕波の 寄り来て白き柿崎の浜」

 

さらに弁天島の先に歩いてゆくと、広い公園になっているが誰もいなかった。

 

公園の一番奥に吉田松陰と金子重之輔の像が立っていた。

私事であるが、下関に勤務していた時、尾形大作の「吉田松陰」を覚えてカラオケで何度も

歌って来た。その歌詞に「下田港の弁天島の波に讃える男意気」があり、弁天島はその頃から

私の憧れでもあった。前回も訪ねているので今回は二回目であるが、またまた郷土の偉人吉田

松陰の息吹を感じさせ熱い思いがこみ上げてきた。

 

松陰像が指さしている下田港の眺め。