続いて寛永寺根本中堂周辺の言問通りにある塔頭寺院を訪ねることに。

子院は現在19あるという。

言問通りにある養寿院は板と白壁を組み合わせた塀が続く。

 

山門を入ると本堂前は狭いが庭園風に設えてある。

 

その奥に津梁院が石柱門を開いている。

狭い境内ながらやはり庭園風に。

 

さらに言問通りを歩いていると、寛永寺谷中霊園に続く参道に出た。

お祭りの飾り付けがされていた。

 

その角に浄名院があり、表門は享保年間(171635)の築。

 

正面に建つ本堂は鉄筋造り。

浄円院として寛文6(1666)に創建され、享保8(1823)に改名された。

 

写真は本堂内。

 

境内でひときわ目を引くのは八万四千体の石地蔵群がびっしりと並ぶ風景であろう。

北白川宮を始め、徳川、小松、一条、近衛家、さらに財閥からの奉納された地蔵群である。

 

815日に「へちま供養」が行われ、せき・喘息に悩む人々からの信仰が篤い。

写真は徳川家奉納の地蔵群と奥に「へちま地蔵」。

 

境内の一番奥の地蔵群をもう一枚。。

 

また江戸新六地蔵6番は明治39年造。

 

言問通りに明治43年築の旧吉田酒店が保存されていた。