どうにか網干駅に辿り着く。
時計を見るとまだ少し時間がある。先ほど観光案内所で頂いた観光冊子に武蔵誕生の神社があることを見て、勇気を奮ってタクシーで往復することに。
10分少しで到着。
石海(せっかい)神社である。ダウン
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ここは宮本村であり、晩年の武蔵が著した「五輪書」に自ら「生国播磨国の武士」とあるが、村は二度の大火で記録は何も残っていないという。
神社の入り口は寺の山門のような建物。ダウン
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祭神は日本書紀の編纂に携わった舎人親王というのも珍しい。
写真は拝殿ダウン。本殿は明治32年築。
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拝殿の前面に藁造りの猪が架かっているのにびっくり。ダウン
この干支飾りは地元の華道の先生が毎年藁で造って奉納されているとのこと。
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写真は拝殿内の絵馬。ダウン
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写真は内陣。右下矢印
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横の荒神社に樹齢500年の「逆さムクの木」があった。ダウン
大火の傷跡を残している。
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しかし境内のどこを探しても武蔵の「む」の字もない。
唯一、門前の公園内に「武蔵生誕の地碑」のみが立っていた。左下矢印
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網干駅に戻り、時間が少しあるので南口に回ると、前方に神社が見えたので立ち寄ってみた。
荒神社であり、祭神は素戔鳴神、倉稲魂命、級戸神。ダウン
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これで太子町の探索は終わり、神戸で女房殿と合流する。