醍醐天皇陵前からコミュニティバスに乗って地下鉄醍醐駅前に到着。
この運賃は安く一日乗り放題で300円とのことであり、このあともう二回乗ったので随分と得をした気分になった。
 
地下鉄醍醐駅周辺は二つの大きな大型ショッピングセンターが建っており、その中のファーストフード店で昼食をとる。
今度は一時間に一本運行の3系統のコミュニティバスに乗って14番目の法界寺のある恵福寺前で下車する。
 
法界寺10数年前に訪れているが、ブログも写真もないために再訪した次第。
この地は京都市の南、宇治市との境近くに位置し、藤原氏支流である日野氏の山荘があった場所であり、また日野家の一族として生まれた親鸞の生誕地でもある。
法界寺は白塀を巡らした簡素な山門が迎えてくれる。ダウン
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弘仁13年(822)に藤原家宗が最澄自刻の薬師如来の小像を祀り、永承6(1051)に日野資業が開基。日野氏の菩提寺である。
阿弥陀堂(国宝)は鎌倉初期の築であり、承久3(1221)に兵火ですべて焼失後に再建された。
方五間の身舎の周囲に一間の裳階を巡らした檜皮葺で、一間して重層の建物に見える。ダウン
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阿弥陀堂を斜め前からもう一枚。ダウン
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内部は暗くて本尊阿弥陀如来像(国宝)も、また天人壁画や四天柱の諸仏像画(いずれも国重文)などがよく見えなかったのが残念。
阿弥陀如来像は丈六の寄木造で漆箔が施され八角九重の蓮華座の上に飛天光背を背にしている。
写真は買い求めた絵葉書よりコピーした阿弥陀如来像左下矢印
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同じく壁画飛天人図(国重文)ダウン
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本堂に当たる薬師堂(国重文)は斑鳩町の伝燈寺の本堂を明示37年に移築したもの。ダウン
康正2年(1456)銘が棟木に残っている。
五間四面の寄棟造の本瓦葺き。
内陣厨子の中に薬師如来(国重文)を安置しているが秘仏。
運慶作の両脇侍十二神将は国重文だが秘仏。
真言宗醍醐寺派の別格本山、山号は東光山。
通称日野薬師と呼ばれており、また安産や授乳のご利益があることから乳薬師とも呼ばれる。
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境内の大半を古池が占めており唯一、趣を添えている。ダウン
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鐘楼は1847年築。ダウン
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阿弥陀堂裏の高台にある宝篋印塔は1712年。ダウン
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写真は受付のある社務所。ダウン
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写真は山門前に建つ民家で、風流のある窓が目についたのでパチリ。左下矢印
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