次に護国寺に行く予定であるが、湯島天神の近くに春日局ゆかりの麟祥寺があることを思い出して立ち寄ることにした。
春日通を西に歩いてゆくと右手の少し奥まったところに麟祥院(りんしょういん)の質素な山門が見えてくる。ダウン
かっては、からたちの生垣を巡らしていたので「からたち寺」と言われたが今はない。
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山門を入ると正面に鉄筋の客殿が建っている。ダウン

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にぎやかな通りから少し奥まっているだけで、周囲の喧騒から取り残されているような空間が心地よい。
さらに生垣に囲まれて中門がある。ダウン
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中門から入ると正面に本堂。ダウン
臨済宗妙心寺派の寺院、山号は天澤山。
この寺は寛永元年(1624)に春日局の隠棲所として報恩山天澤寺として創建された。
春日局の死後に法名をとって麟祥院となった。
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まさに隠棲にふさわしい質素かつ落ち着いた佇まいの庭園が広がる。
写真は本堂から左手の風景。ダウン
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写真は本堂から右手の風景。ダウン
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中門の前にとって付けたような小さな鐘楼。ダウン
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さらに左手は広い墓地になっている。
その奥に春日局の墓がある。ダウン
春日局は幼名を福と言い、明智光秀の家臣斎藤利三の娘として兵庫県丹波市に生まれた。
はじめ稲葉正成の妻となり男子三子をもうけたあと、三代将軍家光の乳母となり3000石を賜った。
家光が将軍職を継ぐよう献身的な活躍をし、さらに大奥制度の確立に尽くした。
春日局の墓石の四方と台石には穴が貫通している珍しい墓である。
死したあとも天下の政道を見守るようにという局の遺言によるともいわれている。
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その近くに淀藩稲葉家の墓、館山藩稲葉分家の墓が向かい合ってある。
さらに佐倉藩堀田家の墓(写真)ダウンもある。
また境内には東洋大学の前身である哲学館跡の碑も立っていた。
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受付に春日局の出生地である丹波市の興禅寺のパンフレットも置いてあり、以前に私も訪ねたことがあり、春日局の最初と最後のゆかりの寺院を訪ねたことになる。
興禅寺のブログは近畿編2011年7月17日を参照。