ようやく岩海岸に沿った道に出る
大きな旅館兼肴料理屋岩忠の高台にある駐車場から岩海岸が一望できる。左下矢印
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坂道を下ったところの右手が岩海岸であり、源頼朝がこの浜から安房に向かった主従7騎の伝説の地である。
今は真鶴道路の橋が架かり、また海水浴場として賑わうという。ダウン
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さらに滝門寺に向かう途中、真鶴町民俗資料館がある。ダウン
石材商として財を成した土屋家の住居であるが、門は堅く閉まっており、開館は土日のみとのこと。
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北に向かう道の突当りが目指す滝門寺の参道である。
参道の入り口に立派な宝篋印塔が立っている。ダウン
明和4(1767)に建てられたもの。
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参道には石碑がずらりと並んでいるが、表面が磨耗していて判読できない。右下矢印
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山門前の右手に由緒ありそうな石造五層塔と頌徳碑が立っている。左下矢印
五層塔は、今は廃寺となっている岩松山光西寺の遺物であり1654年造とのこと。
万寿冠者を葬った塔と言われ、万寿の父は土肥遠平、母は伊東祐親の娘万却であり、父は源氏、母は平氏に別れてしまったことを嘆き海に身を投じたことを憐れんで立てられたと伝わる。
右の頌徳碑は宮石工の三津木徳兵衛の功績を讃えたもの。
そういえば立派な石碑があちこちにあり、また町中には石材店も多くみられる。
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写真は石段と山門。石段横にも墓石や石仏が並ぶ。ダウン
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境内に本堂、庫裏、鐘楼が茅葺で揃って建っているのは珍しい。
いずれも1730年頃の築。
写真は茅葺本堂。ダウン
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写真は茅葺庫裡。ダウン
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写真は茅葺鐘楼。右下矢印
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また狭い境内ながら、素朴な建物の幼稚園まで建っている。ダウン
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