貴船神社を後にして真鶴港に沿った道を歩いて行く。
湾曲の入江になった天然の良港である。ダウン
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その道の傍に赤い橋と祠と洞窟などで小公園風になっていた。ダウン
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中心は「しとどの窟」と呼ばれる波の浸食によってできた海食洞。左下矢印
1180年に石橋山合戦で敗れた頼朝が逃げ回って最後にこの窟に身を隠したと言われる。
そして7人の家臣と共に後で訪ねる岩海岸から安房に渡って再起を図った。
この窟は頼朝の時代には奥行130mはあったという。
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赤い橋の先の祠は頼朝観音を安置している。ダウン
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少し海岸線から坂道を登ると、古い漁師町の民家が続いており、その一角に津島神社が祀られていた。ダウン
創建は鎌倉時代頃と古く、「お天王さん」と呼ばれている。
祭神は素戔鳴尊。
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再び海岸まで降りて歩いていると、寿司屋の人が車に呼び込みをしていた。
その方と目が合い、ちようどお腹も空いてきたのでその葵寿司に入る。
客は私一人であり、お蔭でご主人夫婦に真鶴港の歴史などを聞くことができた。
真鶴港は漁師町としてもまた江戸までの一番近い風待湊として江戸時代から大いに賑わい遊郭まであったという。