旧ニツケ社宅群から細い道を歩くと目指す称名寺の境内である。
この寺は10年位前に、鶴林寺から西に西にと歩いて夕暮れ迫る頃にこの寺を訪ねたことがある。
写真は長い参道。ダウン

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 この辺りは加古川城跡であり、天正5(1577)に信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなった「加古川評定」が行われた場所でもある。
加古川城主だった糟谷武則は秀吉に仕えて活躍した。
写真は山門前。ダウン
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写真は阿弥陀堂である本堂。ダウン
高野山真言宗の寺院、山号は仏頂山。
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その右に毘沙門天堂が繋がっている。ダウン
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左に建っている不動堂は二階建ての造り。ダウン
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写真は大師堂。ダウン
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火伏八幡社の前に7騎供養塔が立っていた。ダウン
文政3年の建立で頼山陽の筆。
南北朝時代、塩治判官高貞は京都を追われ出雲に逃げる途中、弟ほか郎党7人が足利軍の追っ手と戦い討死したことを弔うために立てられた。
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写真は客殿か。ダウン
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写真は通用門。ダウン
旧ニッケ社宅群からはこちらの門から入る。
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