お詫び
パソコンが突然、ウイルスに侵されて使用不能となりました。
パソコン自体も不調でしたので、この際取り替えました。
その間ブログをお休みしまし、ご心配をおかけしました。
本日からまたブログを再開します。

1223日神戸の義母宅に行く途中、京都に下車して大津の定宿に一泊した。
京都から近鉄電車で新大宮駅に下車。
過日、奈良の法華寺、海龍王寺を訪ねた際に、不退寺から東側の佐保地区を訪ねていないのでまず不退寺に向かう。
 
一条高校横の法華寺東交差点に架かる高架橋を渡って、大通りより一つ東側の道を北に歩いて行く。
途中、JR線の踏切を渡ると不退寺の参道である。
南門に続く塀が門に近いところほど高くなっているのが面白い。ダウン
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南門(国重文)は切妻造の四脚門で鎌倉末期の築。ダウン
墨書銘によると正和8(1317)に上棟したとある。
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拝観料を払ってまず寺務所横にある石棺を拝観。ダウン
近くにあるウワナベ古墳南側の平塚古墳から発掘されたもので長さ2,7m5世紀築。
草刈の鎌を研いだ跡が残っているという。
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境内の真ん中に本堂(国重文)が建っている。ダウン
桁行五間、梁間四間の単層寄棟造。
本尊の聖観音像(国重文)は在原業平作との伝、他に五大明王像(国重文)などを拝観。
宗派は真言律宗、山号は金龍山、承和12(845)に在原業平が開基とされ、「業平寺」とも呼ばれる。
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境内の右手に池が広がり石橋が架かる。ダウン
奥にみえるのは多宝塔
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方三間の多宝塔(国重文)は左右に青鎖窓をはめている。
当初は上層があって檜皮葺屋根を持ち高さは13,6mだったが、明治以降は下層部のみとなった。ダウン
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境内に伊勢物語第八十八段の業平卿がお月見をされた時に詠まれた句碑がある。右下矢印
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さらに百人一首の第17段の良く知られた業平の歌碑が立っている。
「ちはやふる神代もきかず龍田川 からくれないに水くくるとは」左下矢印
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