名鉄浄興寺駅から電車にのって国府宮駅に下車する。
駅の西側の中高記念館から参道を歩いて国府宮に向かうことにする。
中高記念館は参道脇に建っている洋風建物で、明治13年に建てられた。
明治20年からは小学校に利用されていた。ダウン
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国府宮の参道は極めて長く、また幅広い。
写真は石橋跡から遠くに見える三の鳥居、その先の国府宮を望む。ダウン
二の鳥居は少し手前に立っており、一の鳥居はそれよりかなり離れて立っているという。
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写真は三の鳥居から国府宮楼門への参道。ダウン
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国府宮(こうのみや)は通称で、正式には尾張大国霊神社であり、尾張総社である。
楼門(国重文)は足利時代初期の建立で三間一戸、入母屋造檜皮葺。左下矢印
楼門、拝殿、回廊、祭文殿、渡殿、本殿が縦にならび尾張式と呼ばれている。
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楼門を入るとやはり蕃塀がたっているが、ここでは珍しく木造である。左下矢印
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拝殿(国重文)は江戸時代初期の建立で桁行五間の切妻造檜皮葺。本殿は流造。右下矢印
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拝殿内側に柱が並立するのが特徴。ダウン
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本殿他の建物は外から見て想像するしかなく、内部にはどこからも近づけなかった。
この付近に国衙が置かれ、国司が総社として尾張国中の祭神を一同に集めて祭祀した神社であり式内社でもある。
また毎年217日の儺追祭、通称「はだか祭り」は名高く、50俵もの大鏡餅が奉納される。
写真は社殿の遠景。ダウン
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境内の右手奥に六柱の境内社が集めて祀られていた。ダウン
司宮社(猿田彦)、稲荷社、三女社、白山社、居森社(素戔嗚)、神明社。
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