続いて海龍王寺を目指して歩いて行く。
寺門の手前に神社の長い参道が続いており、何かと思って入って行くとかっての鎮守社春日社が祀られていた。
丁度さきほど訪ねた法華寺の真裏に当たり、また海龍王寺がすぐ隣の敷地である。
厳重に鍵が掛っており境内には入れなかった。
すぐ隣に海龍王寺が門を開いている。
境内はかって藤原不比等の邸宅跡である。
簡素な山門は四脚門で室町時代築とされる。
参道の先に中門がある。
築地塀がいかにも奈良風で風情がある。
受付を通ると左手奥に経蔵(国重文)が建っている。
寄棟造の高床式のお堂で正応元年(1288)築。
その横に小さな生木地蔵堂。
本堂は寛文6年(1666)再建ながら、奈良時代の古風な造りを取り入れている。
真言律宗の寺院、創建は天平3年(731)に玄昉が光明皇后の発願により皇后屋敷内に伽藍を整えた。
堂内に入り十一面観音立像(国重文)、文殊菩薩像(国重文)、寺門勅額(国重文)などが拝観できた。
特に十一面観音は鎌倉時代作で、彩色も一部残っておりその美しさに惹かれて写真を購入する。
本堂の左手に西金堂(国重文)が建っている。
奈良時代の建立で、切妻造の正面三間、側面二間の仏堂。
内部には五重小塔(国宝)を安置している。
高さは4,01cmであり、天平時代前期作で基壇に永仁2年(1297)銘がありこの頃に修理された。
写真は海龍王の祠、ミツバチが巣を作っているので注意書きがある。
海龍王寺を出て、時間をみながら不退寺を目指して歩いて行く。
交差点の近くに一条高校があり、ちょうど下校の男子生徒三名に不退寺の場所を訪ねたが知らないとの事。
時間もなくなったので、この日はこれまでにして新大宮駅に戻って行く。