続いて王寺駅からほど近い達磨寺に向かう。
幼稚園を併設しており、園児を迎えに来られたヤングママがたむろされていた。
写真は山門(南門)。
案内所があり、ガイドしますとの張り紙があるが、先客のガイドに出られていて残念ながら我々は単独行動となる。
境内の右手にある方丈(県文化)が見たかったが、工事中で覆いがされて全く見れなかったのが残念。屋根の形が左右で違い、左が入母屋造、右が切妻造という変わった建物とのこと。
寛文7年(1667)築。
正面に新しい本堂が建っている。
臨済宗南禅寺派の寺院、山号は片岡山。
推古天皇21年(613)創建という古刹。
本堂の下の三号古墳は達磨大師の墓と言われ、鎌倉時代の初め頃に古墳の上に本堂を建てたという。
本堂内に聖徳太子像(国重文)、達磨坐像(国重文)、千手観音(県文化)が安置されていた。
写真は聖徳太子像。
写真は達磨坐像。
千手観音。
本堂の左に問答石がある。
推古天皇21年に聖徳太子と達磨大師がここで出会って歌を詠交わしたとされる。
本堂の真裏に八面石幢(国重文)が保存されている。
八角石塔で文安5年(1448)銘。
本堂右手には二つ古墳が並んでおり、共に6世紀の15m程度の円墳であり横穴式石室を持つ。
本堂の左手に戻ると石塔・墓など史跡がならんでいる。
松永久秀の墓(写真一番手前右)。
天正5年(1577)に信貴山城にて自害。
その隣は片岡八郎の墓(手前から二番目)。
後醍醐天皇の皇子大塔院護良親王の家来で戦死。
横に片岡春利の墓があり、片岡城主で松永久永に攻められて落城しそのご病死。
石造雪丸の墓がある。
雪丸は聖徳太子の愛犬であり、人の言葉が理解でき経を読んだという伝説もある。
一夜竹は達磨大師が竹の杖で打つと一夜で芽を出したとの伝説がある。
通用口になっている西門から出る。