お知らせ
明日から名古屋に二泊して、鳳来寺と名古屋周辺の寺社巡りのあと、大津に一泊して京都の特別拝観の寺社を巡る予定で出かけてきます。
よって明日25日から28日までブログはお休みします。
 
神戸からの帰りに奈良に立ち寄って、大和郡山近くに在住している友人M君の車で矢田丘陵の寺社巡りをしてきた。
大阪駅から大和路快速に乗って王寺駅の次の法隆寺駅で下車して待ち合わせ。
彼はこの近くで育ち、今もその先祖代々の土地に家を建て替えて住んでいる。
会社の同期入社であり当時は仲が良かったが、お互いに転勤族で年賀状の交換のみの付き合いになっていた。この8月に彼から突然の電話があり、東京で50年ぶりに再会したばかりである。
 
まず一度訪ねたいと思いながら交通の便が不便なため、今回が初めてという朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に向かう。
むしろ信貴山というほうがよく知られている。
この日は日曜日ということもあり、大勢の参拝客で賑わっていた。仁王門は宝暦10(1760)築。ダウン
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その前には古い門前町が続き、また小さな千体地蔵がびっしりと並んでいた。右下矢印
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仁王門を入ると参道に猪上神社の小さな社。ダウン
式内社であり、祭神は天足彦命、国押人命。
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写真は石灯篭が並ぶ参道。ダウン
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鳥居をくぐると、右手に納経所(絵馬堂)が建っておりダウン、安政年間築。
裏側にはプロペラが奉納されていた。
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左手の石灯篭が並ぶ緩やかな石段を登って行く。
まもなく開山堂が建っていた。ダウン
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享保17(1722)築で、内部には弘法大師と中興開山命運上人を中心にして、四国八十八ケ所霊場の本尊が固まって祀られていた。ダウン
少し異様な形になっており、こういう仏像の塊も極めて珍しい。
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仏像の塊を横からもう一枚。ダウン
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開山堂の裏には「命運塚」がある。ダウン
中興の祖命運上人の墓であり十三仏を祀り、周囲には室町時代末の一石一尊十三仏、板碑などもある。
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右手に赤鳥居の立ち並ぶ細い参道があり、剱鎧護法堂(けんがいごほうどう)にと続いている。ダウン
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剱鎧護法堂は醍醐天皇が重い病に罹られた時に病気平癒の祈願をして全快されたので、この地に守り本尊として祀られたと言い伝えられている。左下矢印
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