さらに魚沼市内の円福寺に向かう。
訪れる人もほとんどない寺院であるが、岩と池と苔むした庭園が素晴らしかった。
この日は全く人影が見当たらず、庫裡に声をかけるも応答も無く庭園のみ見させて頂いた。
質素な山門。ダウン
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本堂に続く苔むした石畳。ダウン
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真言宗智山派の寺院、山号は延命山。
奈良時代聖武天皇の御代に北越鎮護の道場として創建されたという。
戦国時代に謙信も戦勝祈願をし、堂宇を寄進しお手植えの大杉も残るという。
最盛期には七堂伽藍が建ち並び三重塔もあり、十二坊を擁していた。
本堂前の池泉観賞式庭園。ダウン
この苔庭は宝永元年(1704)に京都大原三千院の庭園と同じ様式で作庭されたという。
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金堂は燕堂とも呼ばれ明暦3(1657)築で、前面は唐破風造、両側が千鳥破風造。右下矢印
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多宝塔があるが慰霊塔であろうか。ダウン
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写真は境内の不動明王石像。ダウン
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写真は納骨堂か。ダウン
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本堂の裏にも池を配した庭園があった。ダウン
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境内には何の説明板もなく、また住職が不在で何も分からずただ境内を歩いたのみ。
後で調べると随分と由緒ある寺院だったことが判り、住職がおられるときに訪ねなかったことが悔やまれる。