924日から二泊三日で南魚沼市をスタートして長岡市、三条市、新潟市と廻って寺社を中心とした旅に出かけてきた。
今回は二年前の阿波霊場巡りで知り合った二人との三人旅であり、彼らの運転するレンタカーを利用しての旅である。
東京駅で待ち合わせて、上越新幹線で越後湯沢に、上越線に乗り換えて六日町駅で下車。
ここでレンタカーを借りて南魚沼市、魚沼市を経て長岡に向かう。
 
まずはかねてから訪ねたいと念願していた雲洞庵に。
深い杉などの樹林の中に禅寺らしい雰囲気を漂わせて、思っていた通りの佇まいの良い寺院であった。創建は奈良時代の内大臣藤原房前の母が出家して庵を結び病人を救い、母の没後に房前が尼僧院を建立し菩提を弔った。そのため女人救済の庵寺として信仰されてきた。
私が訪ねた理由は、上杉景勝と直江兼続が当寺で幼少期に学問を学んでおり、その後の二人の武将としての生き様に多大な影響を及ぼした寺はとどんな寺なのが訪ねてみたかった。
 
正面に赤門(仁王門)が建っている。ダウン
永享元年(1429)に関東管領より10萬石の格式を貰い建立された。
江戸期までは皇室関係者か大名しか通れず、開かずの門と言われた。
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下げられた草履には無数の願い事を書いた絵馬がぶら下がっている。左下矢印
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赤門の右横に黒門があり、一般の人はここから入って通用参道を通って行く。ダウン
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赤門を入ると杉林の中、真っ直ぐ本堂に向かって参道が伸びている。左下矢印
参道の石畳の下には一石一字づつ法華経がしるし埋められている。
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参道の途中、左手の奥に仏舎利塔が建っていた。ダウン
禅をイメージしたという近代的な建物。
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さらに左手の鐘楼は元禄4(1691)築で当寺の建物では一番古い。ダウン
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鐘楼の奥には客殿が建っていた。ダウン
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本堂前には池があり石橋が架かるが、ここからは入れない。
本堂(県文化)は宝永4(1707)再建、間口14間、奥行10間半もある。
写真は本堂と苔むした石造地蔵。ダウン
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庫裏の入り口より宝物殿に。
写真は宝物殿の外観。ダウン
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宝物殿の入り口に客引き観音像円空仏がある。ダウン
「客引き観音」は見ればみるほど、ほのかな色気が漂うが名前の由来は違う。
客が少なく傾いた石屋の店頭に飾られたところ大繁盛して評判になっていた。
諸国巡錫で通りかかった和尚が懇願して譲り受けた観音像とのこと。
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宝物殿には書画、仏像などが展示されていた。
伊藤若冲、武田信玄の書(写真ダウン)、直江兼続の公制札など興味深いものも多い。
 
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