長寿院本堂脇から裏門を出て、北に歩いて専念寺を目指す。
ぐるりと塀を廻らした境内は樹木が多く静寂さが漂う。
写真は山門。
慶長年間(1596~1615)に徳亀が法華経一万部供養を行った時に開山。
この時の供養碑は慶長6年(1601)。
写真は本堂と境内。
浄土宗の寺院。
何の説明板もない石碑が二つ並んでいたが、写真はその時の供養碑であろうか。
写真は鐘楼。
写真は子安地蔵堂。
最後に東北本線の線路近くにある小峰城作事稲荷を訪ねる。
初代白河城主丹羽長重が寛永6年(1629)から9年にかけて小峰城の大改修を行った際、作事方の安全を祈って祀られたという。
写真は覆屋の中の祠。
白河の町は奈良時代の古くから交通の要衝にあたり、また東北鎮護の要として発展してきたことを改めて再認識した。
そのため江戸期には徳川家譜代大名が歴代の藩主として名を連ねている。
中でも松平定信は名君として町の隅々にその名を残し、また文化的な奥ゆかしさを残している町でもある。
しかし現在は人や車の往来が極めて少なく、古くからの商店もご苦労されているようであるが、その歴史の華やかな名残りをあちこちに感じながらの旅であった。