大通りの戻り東に向かって歩いて行く。
左手に「ビューティサロン・オサダ」という外壁に白河石が使われた石造りの美容院がある。ダウン
大正時代の築、こんなレトロな美容院はあまり見たことがない。
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その隣は千駒酒造、後ろには白壁の酒蔵が並ぶ。ダウン
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さらに老舗の呉服店である「上の片野屋」の建物。
昭和30代築であるが、白壁と瓦のレトロ調の建物。ダウン
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また典型的な鉤形を通って東に歩いて行く。ダウン
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「宗祇戻し」を訪ねて歩くがなかなか見つからない。
地元のお店の人など二人に聞くが判らないとのこと。
三人目に尋ねた中年女性の方から教えて頂く。
関山街道と石川街道の分岐点のところに「宗祇戻し」の古碑が立っていた。
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連歌師の宗祇が奥州行脚をしている時、一日一万句の連歌興行に参加するため白河に立ち寄った。通りかかった綿を担いだ婦人に興行のことを聞くと、もう終わってしまったとのこと。
そこで「その綿は売るか」と尋ねたところ、その婦人の返句が
「阿武隈の川瀬にすめる鮎にこそ うるかといへるわたはありけり」
一婦人の技量の高さに驚いた宗祇は、京都に帰っていったという故事にちなむ場所である。
傍に芭蕉の句碑があるが、後に天保14(1843)に建てられた。ダウン
「早苗にも我色黒き日数哉」
ただこの句は白河の関で詠んだものだが、曽良の随行日記に「宗祇戻し」を訪ねたことが書かれている。
 
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