常端寺の隣に石柱門を開いているのが天恩皇徳寺である。
しかし参道は駐車場と民家の間に挟まれた普通の道が続く。
大同年中(806~10)に法相宗の勝道によって勝道寺として創建された。
臨済宗妙心寺派の寺院、山号は太白山。
写真は土蔵造りのような本堂。
境内に祀られている笹原神社。
墓地の入り口に戊辰戦争戦死者の墓(左)と新撰組隊士菊池央の墓。
菊池央は白河口の戦いで戦死、享年22才の若さであった。
本堂奥の墓地の一番奥に小原庄助の墓があるというので訪ねてみた。
真ん中の墓は絵師蒲生羅漢の墓。その右の小さな墓がその弟子である会津塗久五郎の墓であり、徳利の上に猪口でフタをしたような形をしている。
師弟共に大の酒好きであった。
久五郎の辞世の句「朝によし昼になおよし晩によし 飯前飯後その間もよし」が刻まれている。
彼こそが民謡「会津磐梯山」に謡われた小原庄助であると言われるようになったとのこと。
白河の関行きのバスの時間が迫ってきたので白河駅に向かう。
写真は再度、少し遠くから駅舎を撮ったもの。