月心院、妙徳寺から妙関寺に至る道の東側は関川寺の境内。
空堀と土塁跡が残っており樹木が生い茂っている。
ここは中世の城郭居館跡であり、すぐ南を流れる谷津田川の河岸段丘を利用し、東西220m、南北180mと細長い遺構である。
結城氏の居館跡とも言われている。
 
ここにある関川寺(かんせんじ)は、古くは関銭院と称し、関所の通行税を徴収する任に当たっていたという。
写真は入り口の第一門柱。ここから長い参道が続く。ダウン
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第二門柱は石灯篭の役目も兼ねている。ダウン
奥にある結城桜は樹齢200年。
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境内に入るとすぐ左手に戊辰戦争戦死者供養塔とお堂が建っている。左下矢印
戊辰戦争白河口の戦いでの奥羽越列藩同盟の戦死者を弔う。
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境内はびっしりと樹木と草花に覆われ庭園風。ダウン
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本堂は横長の建物。ダウン
創建は延元元年(1330)に結城宗広が七堂伽藍を造営寄進し結城家の菩提寺としたことに始まる。
宗派は曹洞宗、山号は東光山。
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本堂の左手に結城廟と修練道場が建っており、前には石仏群が並ぶ。左下矢印
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本堂前は池が配され自然庭園となっている。
写真の右奥に結城宗広像と道元禅師像が並んで立つ。ダウン
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本堂裏は墓地が広がり、ここから谷津田川の蛇行する流れが一望できた。左下矢印
なお墓地の奥に結城宗広の五輪塔があるが、工事中でもあり立ち寄らなかった。
また赤穂浪士山本勘助妻の墓もある。
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庫裏の横にある鐘楼には、宝暦11(1761)鋳造の銅鐘が吊られている。左下矢印
関川寺は白河の寺院群を代表する寺であり、境内の隅々からその歴史の古さを感じ取ることができる。
 
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