小路を挟んで左隣に近江商人屋敷外村繁邸が建っている。
分家であり呉服木綿問屋を開いて活躍。息子の繁は商売を弟に譲り小説家となり「草筏」「筏」「花筏」などの小説を残した。
写真は入り口。
ここにも川戸が設けられている。
写真は主屋の座敷。
広い台所で水屋と呼ばれる。
その横の陣屋通りに赤い鳥居が見えたので入って行くと陣屋跡であった。
貞享2年(1683)に本多忠平が大和郡山藩主になった時、併せて近江国で4萬石の所領が与えられた。
所領を管理するためにここ金堂に陣屋が建てられた。常駐していたのは代官1名、手代2名、書役1~2名であった。
明治5年に廃止となり跡には鎮守の稲荷社のみ残る。
金堂の町は見渡す限りの田園の中、この陣屋を中心に集落が発展してきたと言える。