二日間に亘って、市内を一生懸命に歩いたことにより時間に余裕が出来たので、駅前からタクシーに乗って紀伊風土記の丘を訪ねることにした。
バス停や駐車場からまっすぐな並木道が続き、小さな埴輪が置かれている。右下矢印
イメージ 1
 
資料館近くの右手に巨木の根が鎮座していた。ダウン
古墳時代の紀の川の巨木とあり、平成23年の台風12号の通過後に紀の川で発見されたという。こんな素晴らしい巨木の根を見るのは初めてである。
イメージ 2
 
正面に資料館が建っていた。ダウン
弥生時代の高床倉庫をモデルとした建物とのこと。
岩橋千塚古墳群など県内の考古と民俗資料を展示している。
イメージ 3
 
入り口の左手に旧柳川家住宅、旧谷山家住宅が並んで移築されていた。
旧柳川家住宅は海南市黒江の漆器問屋であり、文化4(1807)築の国重文指定されている。ダウン
昨日、黒江の漆器の町並を見てきたばかりなので興味深々。
イメージ 4
 
写真は内部の店先。ダウン
イメージ 5
 
旧谷山家住宅は海南市下津町の漁家で寛延2(1749)築とされ。やはり国重文。ダウン
主屋と右に突き出した倉部分からなっている。
下津町も昨日、長保寺を訪ねる際に通った町である。
イメージ 6
 
その両家の間に日高地域の地引網漁用具と和船が置かれており県指定文化財。ダウン
イメージ 7
 
風土記の丘入り口から入るとまず右手に竪穴住居が復元されていた。
古墳時代の住居である。
さらに左手の高台に旧谷村家住宅や旧小早川家住宅が移築されている。
いずれも江戸時代築の茅葺の農家であり県指定文化財。ダウン
イメージ 8
 
ここから急坂になり、一面に岩橋千塚古墳群が点在している。
5世紀から7世紀にかけて築造され、園内に430基あり、周辺を含めると800基を越えるという大群衆墳である。ダウン
イメージ 9
 
写真は前山A23号墳。ダウン
イメージ 10
 
前山A24号墳には穴が二つあり、上の穴は盗掘坑とされる。ダウン
イメージ 11
 
さらに古墳巡りの山道が続いているが、私はここまでにして坂道を降りて行く。
実は帰りのバスが二時間に一本しかなく、これに乗れないと帰りの電車に間に合わなくなるからである。