一旦岡田門を出て和歌山城を後にして、南側の三年坂通りを渡って岡公園に入る。
この辺りは和歌山城築城の際に、石切り場であった跡地。
歯形の矢穴が残っている。
天妃池は石を切り出した跡に雨水が溜まって出来たいけとのことだが、それにしては高貴な名前がついている。
池の傍に八大龍王が祀られていた。
岡公園の西側に松生院(しょうじょういん)が塀を廻らして門を開いている。
真言宗単立の寺院、山号は向陽山。
承和9年(842)に円珍が開基という古刹。
初代藩主頼宣の帰依が篤く大いに栄えたが、空襲によって国宝だった本堂他ことごとく焼失した。
現在の本堂は平成8年築。
境内の植え込みは円形に設えてあった。
すぐ近くに刺田比古(さすたひこ)神社の境内。
「岡の宮」とも呼ばれ、延喜式内社であり、和歌山城の総鎮護であった。
写真は鳥居と参道。
祭神は道臣命、大伴佐氐比古命でいずれも大伴氏の祖であり、大伴氏発祥の地でもある。
参道わ突き当たって右に折れたところに社殿が建っている。
境内の西側(参道の突当り)は樹木に覆われた丘になっているが、岡の宮古墳であり古墳時代後期6世紀造と推定される。
古い手水石が無造作に置かれていた。
明暦2年(1656)に寄進されたとある。
摂社・末社は八幡社、氷川社、末社は稲荷(写真)、金比羅、稲荷、小林稲荷、弁天社、春日、天満、祓戸社などのほか神馬が点在。
このあと再び和歌山城に入り、市役所前バス停から和歌山駅に戻る。